前回は、2023年に経済同友会が公表した提言「価値創造人材の育成に向けた教育トランスフォーメーション(EX)~個の主体性を尊重し多様性を育てる教育とそれを支える社会環境の整備~」(図1)で示されている考え方をご紹介しました。人間社会では、教育を通して何らかの価値を創造し、社会の持続に貢献する力、すなわち「生きる力」を育てることが必須です。そのためには「個の主体性」を尊重して、多様性を育てることが重要であり、キーワードとして、「Fun-Will-Effort」を提示しました。今回は、引き続き同提言の内容をご紹介しつつ、学習指導要領でも重視されている「コンピテンシー」の育成や、企業の姿勢や関与などにも触れ、価値創造人材の育成について考えていきます

図1 経済同友会が2023年に公表した提言「価値創造人材の育成に向けた 教育トランスフォーメーション(EX)~個の主体性を尊重し多様性を育てる教育とそれを支える社会環境の整備~」のポイント

コンピテンシーの育成を教育システムとして構築すべき

現在の教育システムは、学年に応じて均質な知識や情報(=コンテンツ)を中心に「教える教育」が主流で、これだけでは、価値創造力を育むことはできません。自ら興味・関心(Fun)を持ち「個」の意志(Will)の下、修得(Effort)する教育を基本に、思考・探究型の「コンピテンシー」を育て、価値創造(生きる力)にとって重要な要素を備える事が重要です。

徐々にではありますが、中学校、高校、大学を中心に、コンピテンシーの価値が評価され育成の動きが進みつつあります。私もこれらを実践する教育現場の様子をいくつか拝見して学生と懇談していますが、自らの自立した意見を持ち、将来の価値創造領域を語れ、かつ次の学びの進路を明確に持つ素晴らしい学生が育ちつつあり、大変頼もしく感じています。

コンピテンシーはなるべく早い時期から意図的・計画的に育むことが重要です。既に整っているコンテンツ教育の中に、コンピテンシー教育の仕組みを取り込むことが重要で、子どもたちが将来の価値創造に向かって自らの進路を選び計画する上で大きな支えとなります。

国力とは価値創造力

ここで、少し視点を変えて、「経済安全保障」の観点から現在の日本の立ち位置を見てみたいと思います。「経済安全保障」は2022年に法制化されたことで、一般の方にも注目されるようになりました。これは、世界情勢が不安定化して緊張が高まる中でも、自国の平和と安全、経済的な繁栄といった状況を、経済上の措置を通じて確保し、自国のリスクや弱みを軽減することです。日本は、食料自給率が低く、エネルギー資源も乏しいため、これらを他国に依存せざるを得ません。一方、世界で起きている紛争や、今後さらに増加する世界の人口などは、世界中の資源の需給バランスを不安定化させる要因となり、日本の存続自体にも大きな影響を与えかねません。このような危機を回避するためには、日本の自立性と不可欠性を確立する必要があり、それには、日本の国力すなわち価値創造力を高めることが重要です。他国に比べ、より高い価値を世界に提供し、価値貢献することで、世界にとって無くてはならない日本、すなわち不可欠な日本が確立され、結果として、食料、資源等のスムーズな調達が行えます。しかしながら不可欠性の状態を継続するには、価値創造を支える人材の「継続的な輩出」が必須であり、国力を支える人間社会への高い価値創造力、価値貢献力を有する人材は、コンピテンシー教育システムの構築によって支えられるのです(図2)。

図2 価値創造人材の創出に向けた教育・人材育成

コンピテンシーには、論理的思考力やプロセスを創り出す力、すなわち価値創造にも直結する課題を明示する力、課題をベースとしたあるべき姿の示す構想力、あるべき姿に近い状態を実現するためのソリューションの構築力、リーダーシップ力など、様々な資質・能力が含まれています。これらに加えて、「コミュニケーション力」も非常に重要な資質・能力だと、私は考えています。自分の意思を他者に伝えることはもちろん、他者の意見を聴きながら議論の本質を理解し、自分の知識や考えを広げたり、深めたりしながら議論をリードできることが、価値創造をする上で、特にその「価値の質」を上げる点でとても有効だからです。

企業側の「育てる教育」への関与で、コンピテンシー力育成を充実させる

リベラルアーツの視点を取り入れたSTEAM教育は、人間社会を意識した価値創造をする上でとても重要です。コンピテンシーの育成に関しても、人間社会を意識することが重要です。この観点からコンピテンシー教育の一環として、人間社会への価値創造、価値貢献を担っている企業が積極的にかかわるべきだと考えています。学生にとって、自ら参加したい人間社会での価値創造領域のイメージを早い段階で創り上げて、それを実現する上で自らの学びの方向を決め、カリキュラムも自ら組む、という積極的な自己育成が自立する力、価値創造力を育てる上でとても重要です。企業は、これらに対して、企業の価値創造活動を見て、一部体験していただく機会を設ける事で寄与できると考えており、今回の提言の中でも、インターンシップの拡充を掲げています。従来から行われている大学生、大学院生へのインターンシプの質の向上はもちろん、高校以前の段階から、人間社会を意識し、自分が社会に出た時に、人間社会の課題を解決する上でどのような価値を創造して貢献するのかを、インターンシップを通じてイメージしてもらうことが、とても重要な事と考えています。常に人間社会を意識した価値創造の視点を持つことは、学びの質を高めるものと確信しています。コンピテンシー教育こそが、企業の価値創造を支える重要な要素という観点から、企業の積極的な参画を促していきたいと考えています。

もう一つ、企業の教育へのかかわりで重要な領域と、個人的に考えているのは、理工系女子、いわゆる「リケジョ」の増加です。「リケジョ」の比率はOECD各国の平均より低く、人口減少の中で急務となっており、その比率の少ない理由が企業にもあると思うからです。最新の国際学力調査PISAの結果を見ても、日本の女子高校生の数学や理科の能力は国際的に非常に高い水準にあります。しかしながら、女子高校生にとって、理工系の大学や学部に進んだ場合の具体的な企業でのキャリアパスが見えにくいため、結果的に文系を選択する女子が多いのが現状のようです。この観点から、企業は女性が理工系の領域でも生き生きと価値貢献をしている職場の現状を、高校や中学の学生の方々に見ていただき、自ら理解してもらうよう、インターンシップなどを通した教育機会を増やすことを含めて努力すべきです。私が特別顧問を務めるNECでは、理工系女子学生向けのキャリアストーリーを伝えるイベントの開催や積極的な広報活動などにも力を入れ始めています。そうした企業側の努力がもっと一般化される必要があると思っています。

社会経験を積むほどコンピテンシーの重要性を実感するように

私はProject ManagementやTop Managementを経験させていただきましたが、チームを率いながら、Projectや事業を推進したりするようになればなるほど重要性を感じたのは、コンテンツ以上に、自立した判断力を含むコンピテンシーでした。物事の本質をつかみ、課題を明確化し、その原因と解決策を考えてリーダーシップを持って実行に移す作業は、まさに正解が見えない中で自ら探究していくプロセスにほかなりません。そして本質をつかむには、物事を幅広く見ながら、高い視点で見た上で判断する必要がありますから、その視野を広げるためにも自らも多様性を育て、自らの判断基盤を構築し続ける努力がとても重要なのです。もちろん、判断基盤の構築は、社会に出てからも自ら継続的に行わねばなりませんが、学校教育を通して子どもたちが得たコンピテンシーは、社会に出てからも必ずその人を生かす上で核となる基礎基盤となります。学校の先生方には、従来のコンテンツ中心の教育から一歩踏み出していただくよう、強く期待をしています。

幼少時から感性を大切に育んでほしい

私が科学技術に興味を持ち、理系に進むきっかけになったことの1つ目が、幼稚園の芝生に座って見上げた、南の青空にピカリと光りながら移動する人工衛星であり、2つ目が10歳の時に体験した日米間で行われた初の衛星通信実験でした。その実験中継で、ケネディ大統領逝去のニュースに大きな衝撃を受けると同時に、電波という目に見えないものが、衛星を介してリアルタイムで、遠く離れた国の情報を運ぶ力があるということに、大変興味を持ちました。感受性の鋭い時期ほど、「すごい!」「面白い!」と感じた体験は、その後の「Will-Effort」の元になります。私にとっては、これらの体験が、大学と大学院で電磁波論を学ぶことにつながったと思っています。

東京工業大学の研究室(電波暗室)での写真。左手前が遠藤氏。電磁波の研究をしていた大学4年生時の写真。後方の実験器具は、アンテナからの回折波抑制の確認実験で使った手製の道具。

ピアノ、バイオリン、バレエ、スポーツ、囲碁将棋等では、幼少期からの、個の主体性を重んじた教育が、若い時期から世界に通用するレベルの人材を育てる鍵になっており、子どもたちの潜在力の大きさを感じます。子どもが小さい頃から、数多くの体験ができる機会を用意することこそが、一人ひとりにあった力を発揮させてあげることにつながると思います。

学校、教育委員会、地域・保護者など、すべての教育関係者がコンピテンシー教育への意識を高め、どうすればそのような教育システムを構築できるのかを、それぞれの立場で考えていただきたいと思います。特に保護者や教師の方には、コンテンツ重視からくる学校の序列感にこだわるよりも、子ども一人ひとりが持っている資質・能力をどのようにして育て、伸ばすかという観点から、Fun-Will-Effortを軸にした育て方を意識し、様々な選択肢を子どもに与えていただけたらと思います。目の前の子どもの限りない力を信じて、主体性と多様性を育む教育を、ともに創ってまいりましょう。

(本記事の執筆者:神田 有希子)

 

遠藤信博(えんどう・のぶひろ)

日本電気(NEC) 特別顧問、経済同友会・2022年度教育改革委員会委員長

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