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- 【誌面連動】『VIEW next』高校版 2022年度 6月号
【誌面連動】ウェブで詳しく!『これからの進路指導のための世の中トレンド解説』_人新世
2022/06/20 09:30
生徒の学びや進路選択、その後の人生に影響を与えるような革新的な技術や価値観を「社会のトレンド」として、「学ぶ」「働く」「暮らす」の観点から解説します。
本誌記事はこちらをご覧ください。
お話を伺ったのはこの方
【解説者】
東京大学 大学院総合文化研究科 准教授
斎藤幸平(さいとう・こうへい)
専門は経済思想・社会思想。マルクス経済学などをベースに新たな社会システムのあり方を提言。日本人初、歴代最年少で「ドイッチャー記念賞」を受賞。著書に『人新世の「資本論」』(集英社新書)等。
人類の活動が、地球規模で地質や生態系に大きく影響
世界経済フォーラムが2021年の年次総会(ダボス会議)のテーマに掲げた「グレート・リセット」が、世界中で注目されています(会議はコロナ禍によって中止)。その言葉には、これまでの社会システムをいったんリセットして、よりよい世界をつくり上げるという意味が込められています。日本でも、岸田文雄総理大臣が主要政策の1つに「新しい資本主義」の実現を掲げるなど、社会や経済の仕組みを見直そうという機運が高まっています。
そうした動きの背景には、18世紀後半の産業革命以降、世界中で資本主義による経済成長が追求されてきた結果、地球の行く末が危ぶまれる状況に直面していることがあります。地表は、ビルや道路、農地、ダムなどの人工物に覆われ、化石燃料の大量使用による二酸化炭素濃度の上昇に歯止めがかからず、マイクロプラスチックなどによる海洋汚染も深刻化しています。
ノーベル化学賞を受賞したオランダ人化学者パウル・クルッツェンは、人類が地質や生態系などに決定的な影響を及ぼす時代に突入したとして、地質時代に「人新世」(ひとしんせい・じんしんせい)という新たな区分(図1)を提唱し、警鐘を鳴らしました。資本主義の経済活動が本格化してからわずか200年ほどの間に人類が地球に与えた影響は、1万1700年前から続いた「完新世」の時代が終わったと考えさせられるほど、大きなものだったのです。
「人新世」は、地質学の国際組織「国際地質科学連合」による公式な時代区分としては認定されていませんが、その概念は、今や、自然科学を超えて、哲学や歴史学、経済学など、多様な学術の分野で注目され、論じられています。
新型コロナウイルスのパンデミックも、「人新世」の産物
資本主義は、絶え間のない経済の拡張によって特徴づけられ、日本を含む先進国の国々は飛躍的な発展を遂げてきました。それは同時に、地球規模での環境変化と、人類への大きな影響をもたらしています(図2)。例えば、温室効果ガスである二酸化炭素の大気中の濃度が上昇したために地球の平均気温は上昇をし続け、その影響によって世界中で異常気象が発生し、干ばつや山火事、巨大ハリケーンといった自然災害が頻発しています。気候変動問題は、農業や漁業にも影響を与えており、例えば、同じ漁場でも、獲れる魚の種類が変わってきた、といった話を耳にするようになりました。
世界中が大きな影響を受けている新型コロナウイルスのパンデミックも、資本主義による経済活動がもたらしたものと言われています。自然界には様々なウイルスが存在しますが、かつては人間界には入り込まないという、ある種の線引きがありました。ところが、人間が農地を開拓し、あるいは希少動物を狩猟しようと、森林の奥深くに入り込んでいったことで、未知のウイルスと接触する機会が増えました。また、豚や鶏などの特定の家畜を大量生産することによって、ウイルスの突然変異や増殖が起こりやすくなっています。さらに、地球温暖化によってシベリアやアラスカなどにある永久凍土が溶け、有害な細菌やウイルスが放出される危険性も指摘されています(図3)。
資本主義のシステムでは、先進国がより大きな利潤を追い求めて発展をし続けることによって引き起こされる様々な問題を、発展途上国などの「外部」に押しつけることで成り立っている部分があります。便利で豊かな暮らしを謳歌する人々がいる一方で、熱帯雨林の乱開発があったり、過酷な環境で低賃金労働を強いられる人々が存在したりしているのです。
ところが、資本主義による経済活動が地球全体を覆いつくした結果、今や「外部」となるフロンティアはなくなってきました。その結果、これまで先進国では見えにくかった資本主義の弊害があらゆる地域で顕在化し、各地で自然災害が頻発したり、労働者の搾取が激化したりしています。次なるフロンティアを求めて、宇宙やバーチャル空間に進出する動きも見られますが、地球上にはもう、都合のよい「外部」はないのです。
コロナ禍を1つの契機として、価値観や行動の変容を期待
そうした社会の中で起こったコロナ禍は、人々の価値観を揺り動かしました。日本でも、不要不急の外出自粛を求められたり、在宅勤務が広まったりと、様々な面で行動が変化しました。さらに、エッセンシャルワーカーの賃金の低さが指摘されるなど、国内に広がる経済格差が改めて注目されました。今までの生活を見つめ直さざるを得なくなり、「毎日通勤する必要があるのか」「こんなに多くの服はいらない」「外食しなくても満足できる」などと、これまであたり前だった長時間労働や大量消費に対して疑問を持つ人が現れ始めました。
地球が直面する危機を乗り越えるため、新しい豊かさや価値観への転換を求める動きは、世界各地に広がりつつあります。
例えば、スペインのバルセロナでは、2020年1月、市民が中心となって独自に「気候非常事態宣言」を策定し、2050年までの脱炭素化に向けて数値目標や行動計画を掲げました。都市緑化や地産地消、公共交通機関の拡充、市街地での自動車の速度制限など、非常に包括的で具体的な内容です。そうした市民や地域のレベルから始まった運動が社会に浸透し、グローバルな連帯を生み出して世界を変えていくことが期待されています。
日本は、国別の二酸化炭素の排出量が世界で5番目であり(図4)、気候変動問題に大きな責任を負っている国の1つだと言いえます。コロナ禍を機に、多くの日本人がこれまでの価値観や慣習を見直し、一体感を持って行動自粛などに取り組んで、感染拡大の防止に努めています。それは、新しい価値観に移行していくための、1つの成功体験ではないでしょうか。
「人新世」の危機に対しても、今後、徐々に本気で行動する人が増えることで、社会は大きく変化していくと考えています。
【学ぶ】
問題解決に欠かせないリベラル・アーツ、クリティカル・シンキング
「人新世」は、様々な要因や事象が絡み合って起きているものであり、自然科学や哲学、歴史学、経済学など、多様な学術分野で研究が進められています。そうした複雑で難しい問題にアプローチするためには、文理にとらわれず、幅広い視点で物事を捉えるリベラル・アーツが重要になります。
さらに、旧来の制度や慣習、価値観を一変させて、新たな社会をつくり出していくためには、物事を批判的に捉え、判断する、クリティカル・シンキングが欠かせません。例えば、探究学習などを通じてSDGsについて学んでいる学校は多いと聞きます。それ自体はよいことだと思いますが、もし、節電や寄付をしたり、マイボトルを使ったりしただけで問題に取り組んでいると満足しているとしたら、問題の本質を理解することができているとは言えないでしょう。「なぜ、この問題は起こっているのか」「なぜ解決しないのか」「自分の行動は、本当に世界をよくすることにつながっているのか」と、常に批判的に考え、行動し続けることが、問題解決に求められる姿勢ではないでしょうか。
「人新世」という概念を出発点に、様々な問題に関心を持ち、自分も動かなければと考える人が増えることを期待しています。その第一歩は、実際に問題が起きている現場に足を運び、自分なりの問題意識を持つことです。そこで多くの人の話を聞いたり、本を読んで学びを広げたりして、自分に何ができるのかを考え、行動につなげていきます。
私自身、高校時代にイラク戦争の反戦デモに参加したり、アメリカ留学中にハリケーン・カトリーナの被災地でボランティアに参加した際に、経済格差の大きさを目のあたりにしたりして、資本主義の矛盾を痛感したことが、現在の研究や活動につながっています。
誰にとっても、変わることは簡単なことではありません。とりわけ、今のシステムから大きな恩恵を受けている人ほど、目の前の状況から目を背けてしまいがちです。しかし、それでは世界は改善されません。あたり前の日常の裏に、困ったり傷つけられたりしている人がいるのではないか。そうした気づきを得られるような体験を基に、学びを広げていくことが大切なのではないかと考えます。
【働く】
社会貢献や労働者保護を重視する企業経営に転換
SDGsに掲げられているように、企業には、環境問題や人権、ジェンダー、労働者保護などに配慮した経営が強く求められています。ただ、それを企業の自発的な取り組みに任せるだけではなく、変革を後押しするため、今後は、市民の声に基づいた様々な規制が一層設けられていくはずです。例えば、欧米の多くの国がガソリン車の規制に向けた動きを強めていますし、スペインでは「肉の消費量を減らすべきではないか」と議論されています。
そうした流れの中で、「過剰な広告を行わない」「高層ビルを建てない」「飛行機の短距離国内路線を廃止する」といったルールが設けられる可能性があります。労働時間の制限やワーク・シェアリングなどが進み、働き方も見直されていくでしょう。企業には、社会への貢献や労働者保護などと、利潤追求とのバランスを取る経営が求められ、そうした動きについていけない企業は、淘汰されていくはずです。
社会の変化に伴い、人々の勤労観や就職先を選ぶ際の基準も大きく変化すると考えられます。長時間働いて、より多くの報酬を得ることを理想とせず、「自分らしい生活を送れるか」「社会をよりよくする活動に参加できるか」といった価値観を重視する人も増えてくると思われます。それが、経済成長だけを追い求めてきた社会から脱却して、より成熟した「脱成長経済」への移行になるのです。
【暮らす】
環境や人に負荷をかけないライフスタイルが浸透
「人新世」の問題への取り組みが進むと、環境や人に負荷をかけないライフスタイルが浸透していくでしょう。例えば、シェアリングサービスがより一般化したり、週末はショッピングセンターやサービスが休業したりすることも考えられます。人々の意識が変化し、長期休暇は飛行機に乗って海外旅行に行くのではなく、地域の中で活動したり、家の近所で家族と過ごしたりする時間を楽しむことに価値が置かれるようになるかもしれません。
「人新世」の時代に直面している問題の解決に、世界が団結して取り組んでいけば、よりよい社会システムへと変革する大きなチャンスになると思います。これまで常識と捉えられてきた資本主義の価値観を見直し、大量生産、大量消費の考え方にとらわれず、シンプルで自分らしい生活を送ることは、人々の幸福感にもポジティブな影響を及ぼすのではないでしょうか。