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  • 【誌面連動】『VIEW next』高校版 2023年度 2月号

【誌面連動】「先生なら、どうしますか?」自分の人生を選択するのは生徒。 教師には何ができるのだろうか?
福井県・私立福井南高校 浅井佑記範

2024/02/15 09:30

教師としての指導観を問われた「あの瞬間」を、当事者の教師が振り返る「先生ならどうしますか?」。本誌で紹介したエピソードの土台となる教師の指導観について、ウェブオリジナル記事でより詳しく紹介します。

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浅井佑記範(あさい・ゆきのり)

同校に赴任して11年目。進路支援部。地理歴史・公民科。情報科。テレビ局の記者職を経て、高校の教壇に立つ。生徒と社会をつなげるため、「総合的な探究の時間」での生徒との時間を特に大切にしている。

荒れていても、不登校の経験があっても、可能性は無限大

本校には、Aさんのように、中学校時代に不登校を経験した生徒が少なからず在籍しています。しかし本校の教師は、不登校を否定的には捉えていません。嫌なことがあっても我慢して学校に通い続けるのではなく、無理をしないで学校を休むというのは、自分を守る選択肢の1つです。だから本校の教師は、不登校を経験した生徒を、「生きる」上で豊かな経験を持ち、視野が広い人だと考えています。

 

また、不登校の経験がある生徒に多く接する中で、彼ら・彼女らの多くが往々にして知的好奇心が旺盛で、自分の可能性にふたをしていないことに気がつきました。入学直後から授業についていくことに苦労しても、「高校入学を転機にしたい」と頑張って学習の遅れを取り戻そうとする生徒がほとんどでした。前向きな思いが言動として表れるまでに時間がかかることもありますが、学びたい、チャレンジしたいという強い気持ちを多くの生徒が持っているのだと思います。

 

不登校を経験した生徒であっても、一人ひとりの伸びしろは無限大なのだと心から思います。実際、中学校から申し送りされたその生徒の様子と、高校入学後の様子は一致しないことの方が多いです。

 

そのため、中学校時代から荒れていたAさんが、1年次の秋に大学進学を希望し、進路面談を申し込んできたことは、私にとっても意外なことではありませんでした。「荒れているから進路についても何も考えていないだろう」などと、生活態度と進路意識を一緒くたにしてしまうと、生徒をきちんと把握することはできません。それに進路の見通しが立たなくてイライラしているのであれば、むしろ荒れている生徒ほど、進路の情報を提供する必要があるということになります。

 

また、Aさんのように、教師に反発する生徒は、大人の指示に従順に従う生徒よりも、物事を主体的に考え、動くことができているとも言えます。荒れている生徒が「自分はこんなふうに生きたい」と強い意志を持っていても不思議ではありません。

 

父親の「大学には行かせない。働いてもらう」という言葉は、Aさんの、自分の人生は自分で選びたいという思い、未知の世界を知りたいという欲求を否定し、プライドを傷つけたはずです。だからAさんは、怒りに満ちた表情で進路相談室にやって来たのだと思います。

文句が疑問や意見になるにつれて、Aさんは変わっていった

「文句があるのなら、それを文章にしてみたら?」といった声をかけたのは、実はAさんが初めてではありませんでした。そしてこれまで、私の提案に対して、ほとんどの生徒が「分かりました」と言いましたが、そのうち実際に文章を書いてくる生徒は半分くらいでした。書いてみたことで、自分の怒りは大したことではないと気づいた生徒、書くという方法が性に合わないと言って書くことをやめた生徒もいます。私はそれでいいと思っています。書くかどうかは生徒次第ですし、もし、その方法が合っていないのであれば、私はまた別の方法を提案すればよいだけの話です。

 

生徒が文句を文章にするにあたり、私が書き方についての指導をすることはありません。怒っているのなら、ただそのことを自由に書けばよいからです。実際、Aさんは1週間後、文句ばかりを書いた手帳を持ってきました。それに私がコメントすると、また1週間後、Aさんが自分の考えや質問を書いてきました。彼女の怒りや疑問に関連する本も貸しました。そうしてAさんの文句が起点になる形で、Aさんと私の対話は続いていきました。

 

子どもが受けられる教育が家庭環境によって左右されてしまう社会、教育にお金がかかる社会は正しい社会なのか? お金をかけて受験のテクニックを効率よく身につけることは、学びと言えるのか? 父親への憤りに端を発したAさんの言葉は、現代社会に対する疑問に、さらに「こんな仕組みが必要ではないか」いった提案へと変わっていきました。

 

マルティン・ハイデッガーやリチャード・ドーキンスに関係する本をAさんに渡したのは1年次の3学期末でした。Aさんはそれまで読書の習慣がなかったため、1冊を読み終えるまでにはとても長い時間がかかりました。意味が分からなかった箇所を手帳に書き、「これってどういうこと?」と聞いてくることもよくありました。もしかするとAさんは、私と一緒に読書をしている気分だったかもしれません。どんどんレベルが上がるAさんの質問を見て、「自分ももっと勉強しないといけないな」と思ったものです。

 

生徒の可能性は無限大だと信じている私も、Aさんの短期間の成長には舌を巻きました。2年次の2学期に、私はAさんに、「自分の考えを論文にしてみたら?」と提案しました。そして完成した論文を、Aさんと相談して、ある私立大学が主催する高校生論文コンテストに提出することにしました。

鉛筆で書かれたAさんの言葉と、カラーボールペンで書かれた浅井先生の言葉。例えば、「ハイデッガーの先駆的決意って、結局何を決意してんの?」というAさんに、浅井先生は、「人間は自らの『死』を認知することができません。だからこそ意識的に自らの死を認め、今何をすべきか主体的に考えるべきとする態度を指します」と返し、手帳を介しての対話が続いた。

「名古屋大学なんて無理」。そんな教師の視線をAさんは……

2年生になったAさんは、「大学で哲学を学びたい」と考えるようになっていました。家庭への経済的な負担を考えると、進学先の選択肢は限られます。哲学専攻が充実している近隣の国公立大学……。彼女が選んだのは名古屋大学でした。

 

隠さずに言えば、Aさんが名古屋大学を学校推薦型選抜で受験したいと考えていると知った教師の大半が、「名古屋大学?! それは無理だ」といった反応を示しました。確かに可能性も伸びしろも大きいかもしれないけれど、名古屋大学は目標として高過ぎる。それに現実問題として、Aさん1人だけを厚遇して指導するわけにもいかない。そもそも本校には、難関大学の受験指導のノウハウが十分に蓄積されていない。「無理だ」という周囲の教師の反応は当然のものと言えましたし、そんな教師たちの気持ちをAさんも感じ取っていたと思います。

 

ただ、Aさんはそれまでとは違っていました。冷ややかな周囲な視線をよそに、彼女は勉強を始めました。文句を言っても何も変わらないことをAさんはもう分かっていたからです。

 

もちろん、Aさんを真正面から応援する大人もいました。例えば、英語科のB先生もその1人でした。B先生はAさんに声をかけ、放課後に中学校の履修内容からの学び直しを始めました。また、Aさんと仲がよかった事務職員のCさんは、長い受験勉強の過程で大切になるメンタルヘルスの維持について、よくアドバイスをしていました。Aさんの支援に乗り出す教職員は少しずつ、しかし確実に増えていきました。私も、自分の担当教科以外の教科書や参考書を読み直し、Aさんの勉強をサポートしました。そして、コンテストに提出した論文が見事優秀賞に選ばれ、Aさんに奨学金を給付してくれる財団も現れました。Aさんの学力も少しずつ伸びていきました。

 

ただ、Aさんは決して受験勉強一辺倒だったわけではありません。3年生になった彼女は、同級生と一緒に、自主的に歴史分野の探究学習に取り組み始めたのです。興味を持ったテーマを主体的に探究するAさんの姿を見た教師は、「Aさんは本当に学ぶことが好きなんだ」と思ったはずです。そして何より私たちを驚かせたのは、Aさんがほかの生徒と一緒に探究学習に取り組んだことです。1年次のAさんを知っている人は、彼女が誰かと一緒に探究学習に取り組むなんて想像できなかったでしょう。

 

こんなこともありました。「進路だより」で、朝食と学力の相関関係について解説した記事を読んだAさんは、それから毎朝自分でおにぎりを作って持ってきて、始業前に食べるようになりました。不格好なおにぎりを頬張る様子を見たある教師は、「Aさんは本気で学力を伸ばそうとしているんだね」と、心を動かされたような表情で私に言いました。そうして、Aさんに自らかかわろうとする教師が1人、また1人と増えていきました。

Aさんの合格。校内SNSにあふれた教師の「いいね!」

Aさんは名古屋大学の学校推薦型選抜に出願しました。第1次選考の書類審査を無事通過したAさんは、第2次選考として、英語の文章を読んで日本語で論述する小論文と、志願理由書に基づいた5分間のプレゼンテーションを伴う個人面接に挑みました。

 

合格発表の日、名古屋大学のウェブサイトで合格者の受験番号が確認できるようになるのは午前11時からでした。職員室にいる全員が、朝からそわそわしていました。しかし、Aさんは、「見てしまったら、授業を最後まで受けられなくなるから」と、その日のすべての授業が終わるまで、合格発表を見ることはありませんでした。

 

私は、Aさんはきっと合格すると信じていました。学校推薦型選抜、総合型選抜は受験生と大学とのマッチングであり、大学のアドミッション・ポリシーに合う生徒が合格すべき試験です。その意味では、Aさんは合格すべき生徒だと思っていました。

 

放課後、いよいよ合否を確認するため、Aさんは教室の窓際でスマートフォンを操作し始めました。私は、教室の入口あたりからAさんの様子を見守りました。しばらくすると、涙目のAさんが私に近づいてきました。彼女はひと言、「受かった」。そして次の瞬間、ハイタッチ。Aさんの笑顔を見た瞬間、私は「道が拓けた!」と思いました。

 

すぐに全教職員宛てに、当時導入したばかりだった校内SNSを使って「Aさん、合格しました!」と報告しました。そのコメントに対して、教職員から、これまでにない数の「いいね!」が押されました。ICTツールに関心がなく、普段はコメントに対して全く反応をしない教師も「いいね!」を押し、その報告にだけあふれんばかりの「いいね!」がつきました。

Aさんとの時間が、教師の仕事の難しさを私に教えた

合格発表の日から卒業式まで、私はAさんに、「おめでとう」とは言わなかったと思います。はっきりと覚えている言葉は、「頑張ったね」、そして「自分でつかみ取った感覚を忘れないように」です。人生は選択の連続であり、選ぶのはほかの誰でもない、自分です。これから先の人生がどうなるかは分からないけれど、自分で選び、つかみ取ったその進路には、大きな価値があります。Aさんと初めて面談した時に私が所属していた分掌名が、進路指導部から進路支援部に変わったのも、自分で進路を選び、つかもうとする生徒を支えようという私たちの思いからでした。

 

合格した日から大学に入学するまで、Aさんは「ドイツ哲学の本を原書で読みたいから」と、自主的にドイツ語の勉強をしていました。入学後も、大学院生が対象のゼミに大学1年生のうちから参加するなど、とても意欲的に学んでいます。私は自分が読み終えて不要になった本を学校の図書館に寄贈しているのですが、最近はAさんに「読みたい本、ある?」と聞くことが増えてきました。先日は、ハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』を彼女に贈りました。

 

Aさんは、大学院への進学を希望しています。この先も、彼女は学び続けると思います。そして、自分の哲学をつくる人になるような気がします。Aさんは、生徒の可能性は無限大であることを私に示してくれました。

 

ただ、生徒の変化や成長は、私たち教師の思った通りにはいかないものです。「文句があるのなら、それを文章にしてみたら?」と勧め、取り組ませたからといって、すべての生徒が変わるわけではありません。むしろ変わらない生徒の方が圧倒的に多い。私がよく思い出すのはAさんではなく、私の目の前では変わらなかった生徒たちです。そして、私の目の前では変わらなかったとしても、私は生徒を信じ続けなければなりません。

 

また、Aさんの父親が半ば強制的に打ち切ったあの面談での私自身の振る舞いについても、あの時、私はどうすればよかったのかと、今も考えます。Aさんは、私に父親を説得してもらいたかったのではないか。席を立つ父親を前に言葉を失う私を見て、「この先生は頼りにならない」と思ったとしても、仕方がなかったでしょう。しかし、もしも私が無理に面談を続けようとしたら、今度は父親と私が対立してしまい、Aさんの大学進学は一層困難になったかもしれません。Aさんが、怒りに満ちた表情で私を訪ねてくれたからすべてが始まったけれど、私はあの時、どうすることが一番よかったのか。そう考える度に、教師とは本当に難しい仕事だと、心から思うのです。

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