教育ジャーナリストの後藤健夫さんがお送りする連載「大人たちのアンラーニング」のススメ。今回も「学力」について、アンラーニングをオススメしたいと考えています。時代が変わる今、「学力が高い」とはどういうことかに焦点を当てます。

「学力が高い」「優秀である」の定義が変わる

前回は大学入試で問われる「学力」「偏差値」について考えてみましたが、今回は、その「学力が高い」とはどういうことかをより深く考えてみます。簡単に結論を述べると、前回述べたように「学力」が多様になっているため、偏差値が高い、学力試験(教科等による筆記試験)の点数が高い、ことだけがイコール「学力が高い」ではないということです。

 

学校教育法

第三十条2 生涯にわたり学習する基盤が培われるよう、基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくみ、主体的に学習に取り組む態度を養うことに、特に意を用いなければならない。

 

文部科学省は、この条項をもとに、確かな学力の構成要素として「学力の3要素」があると言っています。つまり、今の学力には

「基礎的な知識・技能」

「思考力・判断力・表現力その他の能力」

「主体的に学習に取り組む態度」

の3つの要素があります。従来は、学力とは「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」といった「認知能力」を指していましたが、それに「態度」といった認知ではない能力が 含まれるようになっています。

 

こうした流れを受けて、前回も話題にした「大学入学者選抜実施要項」では、

「基礎的・基本的な知識・技能」

「自ら課題を発見し、その解決に向けて探究し、成果等を表現するために必要な思考力・判断力・表現力等の能力」

「主体性を持ち、多様な人々と協働しつつ学習する態度」

といった3要素を、選抜のための評価・判定で留意するよう求めています。

つまり、この3つの要素で構成される「学力が高い」受験生を「優秀である」と判定して選抜することを求めていると言えるでしょう。さらに言えば「学力」の捉え方が変わったのですから「優秀である」ことも変わったのです。

大学が定めるアドミッション・ポリシー

大学はなにをもって「優秀」だと判定して入学者を選抜するでしょうか。文科省が示す「大学入学者選抜要項」を各大学のアドミッション・ポリシーに照らし合わせて、大学は独自の入学者選抜要項を作ることを前回述べましたが、果たして大学は自らが考える「学力が高い」受験生を選抜できているでしょうか。

私は、これまで幾つかの大学の選抜試験に関わり、選抜試験を設計してきました。その時に今 で言う「総合型選抜」は実施の自由度が高くて、より求める「学力が高い」受験生を選抜しやすいと感じました。なぜならば、多様性が求められる中で、従来の認知能力のみならずそうでない能力や教科に縛られない統合的な思考などを多面的に評価できるからです。

一方で、「一般選抜」の出題が何をもって「優秀」と判断するのか、突き詰めていくと実は難しい問題に行き着きます。例えば「英語がデキる」とはどういうことか。単語や熟語をたくさん知っていることが英語がデキることなのか。文法や構文をしっかりと把握していることが何よりも大事なのか。文章の全体像を素早く読み取ることを求めるのか。「優秀」と判断するのにもいろいろな観点があると思います。それらにも優先度が高いもの低いものがあるでしょう。民間英語4技能テストのなかには、そのあたりのバランスをうまくとりつつも、文意の把握や言い換えなどで「英語がデキる」と判定している向きがあると関係者に聞いたことがあります。他にも英語で思考できるかなどを評価の観点にできるでしょう。私大文系3教科(英語・国語・地理歴史)では、英語の配点を他教科よりも1.5倍など大きくしている大学もありますが、そうした大学の入試担当者からは「英語がデキればコツコツ勉強できるのだろうから大きく評価している」「他の教科では差がつかないので配点を上げている」といった声を聞くこともあります。英語の学力以外のものを忍び込ませている面もあるのです。「英語がデキる」といった観点だけでも多様な考えがあることがわかります。

実際には「学力が高い」(デキる)と言っても様々な捉え方があっても良いでしょう。ただし、できればそれをアドミッション・ポリシーに記載してもらいたいです。大学のアドミッション・ポリシーは抽象的だと、高校などから批判の声を聞くことがあります。アドミッション・ポリシーを具体的に示すことは、実際に大学がどのような受験生を「優秀」だと判定しているのかを示すことです。そのため、一般選抜等において、その教科が「デキる」とはどういったことかを示す必要があるでしょう。そして、こうした試みが大学の多様性を生むのです。30年前は、受験生を評価する軸は、前回述べた「偏差値」のような単一の観点でした。しかし、現在は能力の観点が多軸化しています。「デキる」ことの価値づけは多様であっていいはずです。「デキる」は教科科目に限らないですし。そうすれば大学を「偏差値」で序列化されることもなくなります。大学が多様化、個性化すれば、受験生の大学選びを豊かにすることでしょう。 このあたりは大学関係者に「アンラーニング」を求めたいところです。

最後に、国際バカロレアの初代事務局長アレック・ピーターソンの言葉で締めたいと思います。

「生徒が高度な教育を受けたかどうかは、試験で何点取れたかではなく、まったく新しい状況で何ができるかによって確かめられる」
(Sue Bastian, Julian Kitching, Ric Sims(著),後藤健夫(編集),大山 智子(翻訳)『セオリー・オブ・ナレッジ―世界が認めた「知の理論」』ピアソンジャパン,2016 年)

 

次回も引き続き「学力」について考えていきます。「多様な学力観」を求める背景とはどのようなものかを考えます。

後藤 健夫

教育ジャーナリスト

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