前編では、言語技術とはどのようなもので、なぜ必要なのかを、私自身の経験を基にお話ししました。今回は、言語技術を日本の学校教育に取り入れる際の課題や改善の方向性、家庭生活における実践のヒントをお話しします。

日本の言語教育の課題と今後の方向性

私が言語技術で目指すものとは、日本が他国と尊重し合いながら、堂々と議論し、意見を発信していく人々の集合体として、よりよい国となっていくことです。現行の学習指導要領では、相手を尊重しながら深く皆で考え合い、考えたことを相手に分かるように表現することが示され、言語技術の育成の必要性も述べられています。しかし、学校現場での国語の授業の多くは、表面的・単発的なテクニックを指導することが多く、上級学校に受かるための「受験国語」になってしまっているのが現状ではないでしょうか。こうしたことも1つの要因として、社会に出ても読めない、書けない、話せない人が多い状況にあると私は考えています。どのような企業や環境にあっても必要な基本的な言語技術は、少なくとも公教育で組織的・体系的に身につけさせるべきです。

例えば、日本の言語教育では、小学生の時に読書感想文の指導がなされるものの、その後は授業でそれが扱われることはあまりなく、中学校か高校でいきなり小論文の書き方指導に飛んでしまうことが少なくないようです。本来、小論文には、目的や用途に応じて本論に様々な書き方がありますが、授業では「序論-本論-結論でまとめなさい」と簡易的に教わる程度です。本当は、小論文を書くためには大量の資料を読んで議論し、議論の結果を形にするために文章化して推敲を重ねるといった複数のプロセスやスキルが必要なのですが、それらは丁寧に指導されていないのが現状ではないでしょうか。そうした指導が積み重なると、国語は「できる人はできるが、できない人はできない」という個人の能力やセンスに依存する教科になってしまいます。

国内小・中学校での実践例
――小学校段階からの体系的な指導で成果を高める――

現在、私が15年近く指導している東北地方の幼小中高一貫校では、小学1年生から中学3年生までが、一貫したカリキュラムに基づき、言語技術を学んでいます。小学校入学直後から意見の伝え方などを指導し、2、3年生の授業では多様な題材を基に子どもたちは議論できるようになります。しかも、相手の考えを批判的に捉えて議論することは、相手を否定することではないことも理解していますし、作文もすらすら書けるようになります。そうした子どもたちの姿は、言語技術の習得には早期からの体系的な教育が有効であることを示しています。

また、指導を始めてまだ6か月程度の関西にある中高一貫校では、既に子どもたちが変わりつつあります。日々の学校生活の中で、多くの生徒が伸び伸びと活発に意見を言うようになりました。子どもたち自身が、意見を言うのが楽しい、面白いと言っていますし、作文指導の成果として、書く文章の質と量が大きく改善しました。高校卒業時の6年後が私はとても楽しみです。

今回紹介した2校以外にも、言語技術教育を取り入れている学校は増えており、成果を上げています。本来は、そうした実践が自治体や学校単位ではなく、国レベルで行われる状態が望ましいと私は考えています。

つくば言語技術教育研究所主催の言語技術講座での様子。対話の訓練である問答ゲームが様々な場面に応用が利くことを解説。

家庭でもできる、言語能力を育むための実践のヒント

言語技術教育は幼少期から体系的に学ぶことが重要ですから、家庭生活の中でも様々な働きかけをすることで言語力を高めることが可能です。子どもはおおむね2歳を過ぎた頃から「どうして?」と、様々なことに疑問を持ち始めます。保護者の方はその問いを聞き流さず、きちんと向き合って応えることが重要です。

読み聞かせも効果的です。日本では、小さい子どもは文字が読めないから絵本を読んで聞かせるとされていますが、読んで聞く能力を伸ばすためには、年齢を問わず、読み聞かせを活用するとよいでしょう。また、この時、単に読んで聞かせるだけでなく、読んでいる途中でも子どもと対話を重ね、分析的、批判的かつ創造的に考えるきっかけを子どもに与えます。具体的には、保護者は本の内容について子どもと話しながら、子どもから「なぜ?」が出たらそれに応え、保護者が答えられない疑問であれば、一緒に調べることをお勧めします。家庭での読み聞かせによって子どもは本に興味を持つとともに、普段使わない言葉に大量に触れ、さらに対話によって批判的思考が促されることなどで、国語の力を大きく伸ばすことになります。批判的思考を促す対話とは、例えば、「もし、○○だったら、どうなったと思う?」などと別の状況を想定させて考えさせるといったことです。

また、普段の会話でも、単語ではなく、文でやり取りするよう、心がけさせましょう。例えば子どもに、「牛乳」ではなく、「僕はのどが渇いたから牛乳をください」などと文章で話すように促すことで、文章力が伸びます。社会に出ると、単語を言うだけでは通じませんから、文章で意思を伝える癖を幼少期からつけるようにするとよいでしょう。

とは言え、保護者も忙しいと思いますから、食事中や車での送迎時などに、子どもが最近読んだ本のあらすじや好きではまっていること、普段から考えていることなどを話してもらう程度でも構いません。子どもの興味・関心に寄り添い、それを素材として子ども自身が考えるきっかけを保護者はたくさんつくってあげましょう。

終わりに
~これからの国語教育への期待~

今後、日本における国語教育がより実践的で、社会で生きて働く力の育成につながるようにするには、「出口」とされる大学入試システムの改革など、ダイナミックな変化が必要だと私は思います。その道のりは短くなく、決して平たんではありません。しかし、グローバル化が進む中、これからの時代は日本人・日本語だけで生きていくことはできません。事実上の世界の公用語である英語が使えることはもちろんのこと、英語を母語とする人たちと同じような方法を使って考え、議論し、日本に有利なように、対等に渡り合えるような国語教育のあり方を本気で考えていくべきです。日本語という特殊言語を持つ我々にとって必要な教育のあり方を国レベルで考え、創っていただきたいです。私も国語教育に携わる1人として、世界に通じる人材を少しでも多く育てていきたいと思っています。

(本記事の執筆者:神田 有希子)

三森ゆりか(さんもり・ゆりか)

つくば言語技術教育研究所所長

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