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- 【誌面連動】『VIEW next』高校版 2024年度 4月号
【誌面連動】「先生なら、どうしますか?」「教室においで」とは言わず、 ただ一緒に楽しむだけの時間をつくった
大阪府・私立高槻(たかつき)中学校・高槻高校 磯崎陽介
2024/04/19 09:30
教師としての指導観を問われた「あの瞬間」を、当事者の教師が振り返る「先生ならどうしますか?」。本誌で紹介したエピソードの土台となる教師の指導観について、ウェブオリジナル記事でより詳しく紹介します。
本誌記事はこちらをご覧ください。
磯崎陽介(いそざき・ようすけ)
同校に赴任して12年目。地理歴史・公民科。大学入学共通テストの世界史の対策指導を得意とし、休日は模擬試験の問題を解いて過ごす。教師としてのモットーは「まずは自分が楽しむ」。生徒とのかかわりでは、目線を合わせることを大切にし、生徒に寄り添う教師であることを心がけている。
家と教室の間にある場所、それが保健室
中学2年次の5月から教室に来られなくなったAさんは、3年次の2学期まで保健室登校を続けました。ただ、彼は学校を休むことはありませんでした。朝の小テストが始まる午前8時15分までには必ず登校し、放課後となる午後4時20分まで保健室で1日を過ごす――それが彼の毎日でした。
Aさんが毎日保健室に登校し続けた理由は、私は少なくとも2つあると思っています。1つは、保健室の養護教諭との相性がよかったことです。その先生はとてもさばさばした性格で、どの生徒に対してもざっくばらんに、そして構い過ぎるわけでもなく、放っておくわけでもなく、実に絶妙な距離感で接することができる人でした。Aさん以外の生徒たちにとっても、保健室は安心できる場所だったはずです。
もう1つは、登校しないと保護者に連絡がいったからだと思います。本校では、生徒の安全を見守るため、一人ひとりにICカードを持たせ、登下校で校門を通過した時刻を記録し、それを学校や保護者に通知するシステムを導入しています。自宅にこもったり、学校に来ないで町をぶらぶらしたりすれば保護者にすぐに分かってしまうし、かといって教室には行きたくない……。だからAさんの居場所は保健室しかなかったのだと思います。家と教室の間にある場所が保健室だったとも言えます。
当時、Aさん以外にも、教室ではなく保健室で過ごす生徒は何人かいました。保健室にいる生徒は、自分の世界を守るかのように、何時間もじっと黙って座っていました。室内に何人かいても、いつも誰もいないかのように静かでした。
担任の私が保健室でAさんに何か話しかけても生返事で、返ってくる声には張りもありませんでした。教室に行かない理由を尋ねても、はっきりした答えは当然返ってきません。「これは長期戦になるぞ」と覚悟した直後、話題がAさんの趣味の囲碁に及んだ時の反応がそれまでと違ったため、「これは彼とのコミュニケーションの手段になるかもしれない」と自分が多少できる将棋の対局をAさんに提案しました。
しかし、保健室には将棋盤はありません。かといって教師の私が、生徒に家から将棋盤を持って来させるわけにもいきません。どうしたものかと考え、生徒が自作したものならいいだろうと思い、「盤と駒を作っておいてね」とAさんに言いました。
言うべきではないと考えた「教室においで」のひと言
私は授業の空き時間に保健室に行き、毎日のようにAさんと将棋を指しました。
対局中はお互いにほとんど無言で、たまに私が感声とともに「その手があったかぁ」とつぶやいたり、まれにAさんが「先生、それいい手ですね」と小声で褒めてくれたりしたくらいです。もちろん、Aさんから言葉が発せられた時は、「お、今日は何か話してくれるかも」と思い、家での様子をそれとなく聞いてみましたが、大抵の場合は具体的な返事はありませんでした。会話のキャッチボールが続いたとしてもせいぜい3往復くらいで、それも週に1度あるかないかといった頻度でした。
「教室においで」とAさんを誘うことはせず、それどころか自分の方から足繁く保健室に通い、将棋を続ける私に対して、同僚たちは総じて「それは駄目だろう」といった意見でした。「保健室は将棋をする場所じゃない」「生徒が学校は遊びに来る場所だと解釈してしまうのではないか?」「HRだけでも教室に誘ってみてはどうか」などと、様々な注意や助言をもらいました。同僚たちは、ただ将棋を続けるだけでは、このままの状態がずるずる続いてしまうと考えたのでしょう。同僚たちの考えは私もよく理解できました。
当時、保健室登校の生徒を抱えた担任のほとんどは、教室に来るよう促す声かけを積極的に行っていました。私がAさんと将棋を指していると、他のクラスの担任がAさん以外の生徒に、「次の授業は出席できそう?」と尋ねる声がよく聞こえてきました。生徒が「駄目です……」などと返すと、担任は「分かった。じゃあまたね」などと深追いせずに保健室を後にしていました。時間をかけて説得しても、ほとんどの場合は効果がないし、それどころか、生徒を追い詰めてしまいかねないことは、どの担任も分かっていたのです。
ただ、「次の授業、行けそう?」という担任の問いかけに、「はい、行ってみます」と返事をする生徒もいました。そして、そのまま教室に復帰する生徒もいれば、再び保健室に戻ってくる生徒もいましたし、保健室にも来なくなる生徒もいました。どうすればうまくいくのかは、誰も分かっていませんでした。少なくとも私は、「次の授業、行けそう?」と声をかけることで、保健室にも居づらくなるようにだけはしたくなかったのです。
保護者の気持ちを理解しつつ、Aさんの居場所を守った
当然Aさんの保護者も、保健室登校を続ける我が子のことを心配していました。そして、Aさんと将棋を指すようになってしばらくして、私に電話をかけてきました。家庭でAさん本人から、「先生と将棋をするようになった」と聞いたAさんの保護者は、「将棋をするために学校に行かせているわけではありません」「先生からも教室に行くように言ってください」と、はっきりと言いました。
Aさんの保護者の気持ちはとてもよく分かりました。しかし私は、「将棋は、Aさんとの信頼関係を築くために必要な時間なのです」と理解を求めました。そしてその後も、Aさんに「教室においで」と声をかけることはしませんでした。
Aさんの保護者から、1日3回、4回と電話がかかってくることもありました。保健室でどう過ごしているだろうか、宿題はちゃんと出しただろうか、そして、今日こそは教室に行けただろうか……。そのように心配する気持ちは痛いほど分かりました。
しかし私は、Aさんの保護者にAさんの様子を伝えることはしても、Aさんに「教室においで」と言うことは決してしませんでした。そのひと言を言ってしまうと、Aさんの居場所がなくなり、教室復帰がさらに難しくなるのではないかと思ったからです。普段は同僚や保護者とコンセンサスを取りながら物事を進める私でしたが、この時は自分の考えを貫きました。
保健室の中で自分の世界を広げ始めた生徒たち
そうして変わらずAさんと将棋を指し続けていると、保健室に思わぬ変化が現れました。教室に行かずに、保健室で静かに自分の世界を守っていた生徒たちが、いつの間にかAさんと私の対局にギャラリーとして立ち会うようになっていたのです。それどころか、生徒たちは私たちの対局に、「その手じゃないよ」などと口を挟むようにもなりました。Aさんも周囲のかかわりを嫌がるどころか、むしろ面白がっているように見えました。
保健室登校の生徒たちは、同じ空間に身を置きながらも、会話をすることはあまりありません。教室に行かないのに会話をすることは心情的に簡単ではないでしょうし、自分の世界を守っている以上、共通の話題もつくりにくいのだと思います。そんな保健室登校の生徒たちにとって、将棋は自分の内面をさらけ出す必要のない、気軽な話題になったのです。
そのうち、ほかの生徒たちも、Aさんが作った盤と駒を使って将棋を楽しむようになりました。体調が悪くて保健室を利用している生徒に迷惑にならないように気をつけながら、Aさんを含む生徒たちが、次第に保健室で自分のことを話すようになっていきました。保健室という限られた空間の中だけであったとしても、生徒たちはコミュニティーを築き、自分の世界を少しずつ外に向けて広げていっていたのだと思います。
高校を卒業したAさんが振り返る「保健室での時間」
中学3年次の2学期、Aさんは自分から「今度、先生の授業の時だけ、教室に行ってもいいですか?」と言いました。それから少しずつ教室で過ごせるようになり、3学期には、それまでずっと保健室で受けていた定期考査も教室で受けられるようになりました。
高校に進学したAさんとは担任としてのかかわりはなくなりましたが、Aさんは何とか卒業までたどり着くことができました。そして卒業後は、大学の薬学部に進みました。
Aさんは今でもたまに学校を訪ねてくれます。なぜ、あの頃、教室に行けなかったのか、卒業後に本人に聞いてみましたが、「何だか分からないけどモヤモヤしていて、教室に行きづらかった」といった漠然とした答えしか返ってきませんでした。なぜ教室に行けなかったのか、はっきりした理由は本人にも分からないのです。
保健室での時間についても尋ねたことがあります。Aさんはこう言いました。「自分だけの世界が保健室にはありました」「あの頃の自分は、広く周りを見渡すことができていませんでした。自分の半径数メートルしか見えていませんでした」と。そして、「先生との将棋の時間は安らぎでした」と。またAさんは、「先生のやり方も1つの方法だったのだろうと親が言っていました」と、Aさんの保護者に心情の変化があったことを教えてくれました。
自分自身が楽しむ姿が、生徒にとっての希望になってほしい
Aさんとは本当に将棋を指すことしかしませんでした。果たして担任として、それでよかったのか。正直私には分かりません。
ただ、教室に来るのが難しい生徒には、今でも「教室においで」とは言いません。生徒は家でも「教室に行きなさい」と言われています。どこに行っても同じことを言われたら居場所がなくなってしまいますし、もしも家でいろいろなことを言われてしんどいようなら、せめて学校では違う言葉をかけてあげたいと思うのです。
「教室においで」と言わないということは同じであっても、具体的な接し方は目の前の生徒一人ひとりで異なります。そして、どんな生徒に向き合う時も、教師として私が心がけているのは、自分が楽しんでいる姿を見せることです。
Aさんとの将棋も、Aさんのために我慢して仕方なくやっていたわけではありません。将棋を通じて彼と心の中でつながりたいという思いは確かにありましたが、それ以上に、「これならAさんと楽しい時間を過ごせそうだ」といった思いがありました。
「Aさんのためだから」という使命感だけだったら、何百局も将棋を指し続けられなかったと思いますし、もしかしたら、「もういい加減にして、教室に上がりなさい!」などと厳しい言葉を発していたかもしれません。もちろん、その言葉に背中を押されてAさんは教室に復帰した可能性もありますし、保健室に来ることすらやめてしまった可能性もあります。どうなっていたかは誰にも分からないことだと思います。
養護教諭は私に、「磯崎先生の方が楽しそうに将棋をしていたよね」と、今でも思い出すように言います。私にとっては、生徒の楽しむ姿を見ること以上に、楽しい時間を生徒と共有することが喜びなのだと思います。授業準備、教材研究、部活動の指導、そして学校行事……。どんなことも「生徒のために」と無理するのではなく、生徒と一緒に楽しむことを大切にしたいと思うのです。生徒も、物事を心の底から楽しむ大人を近くで見るのは悪い気がしないはずです。
教師が生徒と同じくらい、いえ、もしかすると生徒以上に今を楽しむ姿を見せることが、生徒にとっては「息が詰まるような今の世界が、この世のすべてではない」という希望につながるのではないか……そんな気がするのです。そして、そんな希望を見いだしたいと願う生徒に、「焦ることはない。大丈夫」という気持ちで寄り添い続けたいと、私はいつも思っています。