学校教育情報誌『VIEW next』『VIEW next』TOPへ

  • 高校向け
  • 誌面連動
  • 【誌面連動】『VIEW next』高校版 2024年度 6月号

【誌面連動】「先生なら、どうしますか?」働きかける指導ではなく、信じて見守る指導で生徒の学びのニーズと情熱に応える
宮崎県立宮崎東高校 定時制課程夜間部 西山正三

2024/06/17 09:30

教師としての指導観を問われた「あの瞬間」を、当事者の教師が振り返る「先生ならどうしますか?」。本誌で紹介したエピソードの土台となる教師の指導観について、ウェブオリジナル記事でより詳しく紹介します。

本誌記事はこちらをご覧ください。

PDFダウンロード

西山正三(にしやま・まさみ)

同校に赴任して6年目。理科。4学年担任。前任校の宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校で探究学習に長くかかわる。現任校では、哲学対話などを通して生徒が自ら見いだした課題に取り組み、進路実現につなげる探究学習を構築した。

一人ひとりの学びのニーズと情熱に目を向ける

読書家のAさんは、物事を深く考えることができる生徒で、繊細な感性の持ち主でした。残念なことに、高校入学時の彼女は、自分の持っている豊かな力を受け止められる人や場に、まだ出会えていないようでした。Aさんはアカデミックな出会いがあれば、さらに大きく成長するはずだ。そしてその出会いは、探究学習の中で見つかるのではないか。そんな私の期待通りに、2年次、3年次と、Aさんは探究学習に没頭していきました。

ある日、私はAさんから「相談があります」と声をかけられました。Aさんは私に言いました。「探究学習の時に、ほかの人たちの話し合いの声が気になって、集中できないことがあります。1人になれる場所で探究学習に取り組ませてもらえないでしょうか」。私は「分かりました。空き教室を使えるようにします」と、即答しました。

自分が興味・関心のあるテーマを追究する探究学習に、全員がいつも同じ場所で取り組まなければいけない理由はありません。しかも現実に空き教室はあります。Aさんの要望が自分の学びをよりよいものにするために必要なものであるのなら、当然受け入れるべきだと考えました。

Aさんが「1人で没頭できる場所がほしい」と、勇気を出して言ってきてくれなかったら、彼女の学習上のニーズ、そして探究学習に対する情熱などを、私は見抜けないままだったかもしれません。だから私は、彼女の申し出をわがままだなどとは少しも思いませんでしたし、それどころか、Aさんが言ってくれるまで私が気づかなかったことに、教師として申し訳ないと思ったくらいでした。

私が気づいていない学びのニーズや情熱を持っている生徒がほかにもいるかもしれない。私の配慮1つで、その生徒の安全・安心が保障されるだけでなく、もしかするととがった才能が大きく花開くかもしれない。私は生徒たちから日々の困り事や、して欲しい支援、そして胸に秘めた思いを聞かせてもらおうと、時間が許す限り生徒と対話しようと思いました。

とは言え、その思いに嘘偽りはなくても、実際の場面では迷ったり、躊躇したりすることもあります。Aさんの学びを受け止める存在になろうと、「毎週水曜日の放課後の30分間、先生と話す?」とAさんに提案する際も、内心は「校務のための時間が減ってしまう。こんなことを言って大丈夫だろうか」と葛藤しました。それでも、「この30分間は、Aさんにとって意味のある時間になるはずだ」と、自分に言い聞かせました。

学校を休むという意思を尊重する

中学1年生の頃から不登校だったAさんは、高校入学後もたまに学校を休むことがありました。しかし、探究学習にのめり込むようになると、徐々に欠席は減っていき、3年生になってからはずっと出席を続けていました。ところが、探究学習について社会人の人たちからフィードバックを受けて以降、Aさんは学校を休むようになりました。

私はとても心配して、毎日、彼女の携帯電話にかけましたが、彼女が電話に出ることはありませんでした。電話でのやり取りが苦手な彼女が、私の電話に出ないのはいつものことだったのですが、それでも欠席が続くと、「そんなに傷ついてしまったのだろうか」と、ますます心配になっていきました。でも、心の隅には、「家で探究学習に没頭しているのかもしれない」といった思いもありました。自宅で集中しているのだとしたら、何度も電話をしたり、家庭訪問をしたりすることは、彼女の邪魔をすることになる。私は電話は1日1回にとどめ、彼女が登校する日が来るのをじっと待ちました。

Aさんが探究学習についてまとめたスライドを携えて登校した時、私は彼女になぜ学校を休んだのかと聞きませんでしたし、電話に出なかったこともとがめませんでした。もちろん、連絡もしないで学校を休むことはよいことではありません。それでもその時私は、Aさんを叱ろうとは思いませんでした。学校に来なかった1週間も、Aさんは自分で考えた通りに自分の時間を生きたのだと納得していました。学校に来ることも来ないことも、本人の意思であればそれを尊重し、応援したいと思ったのです。

教師としての自分のあり方を変えた出来事

かつての私は、自分の考えた通りに生徒を動かせる教師が「よい教師」だと思っていました。時には威圧的に生徒に接することも必要だと考えていました。そうしたことが指導力だとも思っていました。

ところが前任校で私は、体調を崩し、気持ちが落ち込んで、何もする気にならなくなってしまいました。それまでは、学年集会などの場で、生徒たちに明確に指示を伝えることができる大きな声が自慢でしたが、その声も満足に出せなくなりました。生徒を一喝していたような場面でも、そのエネルギーが出なくなってしまいました。

教師を続けるなら、ほかのやり方を考えなければいけない。大きな声で明確な指示ができなくなった私は、A4の用紙に生徒にやってほしいことを書き、生徒に提示するようにしました。細かいことをあれこれ指示したり、注意したりすることはできなくなりましたが、生徒たちは私の意図を酌み取り、分からないことは自分たちで考えて、授業の進行などを支えてくれるようになりました。

ある時、私は気づきました。自分が怒らなくなったら、むしろ生徒は落ち着いてきたと。それまでは、私の授業に決して真面目に参加していると言えなかった女子生徒が、授業前から職員室の私のところに来て授業の準備を手伝い始めた頃には、生徒を信じること、生徒に任せることが大事なのだと確信していました。

繊細な芸術品のような生徒を受け止める

本校への異動は、私自身のさらなる成長につながりました。生徒が歩んできた人生を知れば知るほど、自分の考えや思いを押しつけるのではなく、生徒の考えや思いに真摯に耳を傾けなければいけないという思いが強くなりました。Aさんを始め、本校の生徒は皆、とても美しく、繊細な芸術品のような心を持った人たちです。感情に任せて怒鳴るなどしたら、壊れてしまいかねません。

本校には、小・中学校で不登校を経験した生徒が多く、自己肯定感が低い生徒が少なからずいます。そうした生徒たちに必要なのは、ありのままをまずは認めてくれる存在なのではないかと考えています。そのままの生徒を受容し、一人ひとりに「大丈夫だよ」と言える教師でありたいと、私は思っています。

例えば、クラスでプリントを配布する時に、私は生徒にプリントを回させることはせず、私から生徒一人ひとりにプリントを直接手渡すようにしています。生徒に回させた方が手間はかからないのですが、その代わりに、大切なアイコンタクトのチャンスを失うことになるからです。

先日、授業の開始時に、1人の生徒が、必要なプリントを忘れてきてしまったと私に言ってきました。私は生徒たちに「ほかに忘れた人はいませんか?」と確認しましたが、誰も手を挙げませんでした。私は急いで職員室にプリントを取りに行き、再び教室に戻って授業を開始しようとしたところ、1人の生徒が恐る恐る「先生、私も忘れました……」と申し出たのです。

かつての私なら、「なぜ、さっき言わなかったんだ!」と、イライラしたと思います。しかし今は、「きっと言い出しにくかったのだろうな」「よく勇気を出して言えたな」と考えるようになりました。生徒が言い出しにくかったのは、教師としてのスキルが私に足りていなかったからだと、自分の問題として捉えるようになりました。

定時制と進学校では生徒も指導も異なるのか?

私の考え方に対して、「生徒を甘やかしているだけだ」などと批判する人もいるかもしれません。でも、私はそうは思っていないのです。生徒が安心する。うれしいと感じる。だから学校に来る。それ以上に大切なことなどないと思うのです。

「小・中学校時代に苦労した生徒が少なくない定時制だからこその考え方だろう」と思う人もいると思います。それは確かにそうかもしれません。

でも私は、前任校を思い出すと、そうした考えは進学校の教師にも必要ではないかと思うのです。進学校の生徒は、抱えている困り事が見えにくく、受容の態度が必要な生徒と、厳しい態度が必要な生徒が混在しています。それどころか1人の生徒の中でも、必要な支援がめまぐるしく変化します。生徒の状態をつぶさに見取り、丁寧に向き合うという意味では、定時制も進学校も求められているものは同じだと思います。

今後、進学校に異動しても、教師としての自分のあり方は大きくは変わらないと思います。仮にAさんのように、学校に来るのを後回しにするほど探究学習に没頭する生徒を前にしたら、「あなたの時間を何に使うかは、あなたの自由だ」と話すでしょう。そんな私の態度を、生徒は意気に感じてくれるのではないかと思うのです。結果的に成績が伸びるのは、そうしたクラスではないでしょうか。

探究学習が生徒の可能性の大きさを教えてくれた

さて、Aさんはその後も探究学習を進化させていきました。Aさんの成長のスピードは半端なものではありませんでした。

高校生の探究学習の国際シンポジウムに参加したAさんは、人文科学部門のスライド発表で最優秀賞を受賞し、シンガポールで行われる国際大会の参加資格まで得ることができました。著名なシンポジウムでしたから、出場するだけでも快挙だと思っていましたが、まさか最優秀賞を獲得するなど、夢にも思っていませんでした。

Aさんは2023年1月に開催された、中央教育審議会初等中等教育分科会の高等学校教育の在り方ワーキンググループに高校生としてゲスト参加しました。そこでAさんは、「中学校では周りの目を気にして普通であることをすごく意識していたけれど、探究学習に取り組む中で自分自身について知ることができて、無理に人と合わせようとしなくてもよいと思うようになった」「嫌なことがあっても、探究学習の1コマがあるから学校に行けると思うことがある」と語りました。

Aさんとの時間は、私に探究学習の可能性、そして生徒の持つ力の大きさを教えてくれました。これからの教師の最大の役割は、探究学習を軸に、生徒を認める声かけを行い、生徒が安心して学びに取り組める場所をつくることなのではないかと思います。働きかける指導から、信じて、見守る指導へと、求められているものが変化しているように思います。

見守ることと放置することはもちろん違います。その違いは、信頼関係の有無です。そして、生徒との信頼関係は、日々の対話で築かれます。ただ、どの生徒たちにも気持ちの波がありますから、よい状態の時、話せる時に話をしておくことが大切です。短いやり取りでもよいので、頻繁に行う。その積み重ねが信頼関係を築くことになるのだと、私は思っています。

本記事と連動した誌面『VIEW next』高校版
2024年度 6月号バックナンバーへ戻りたい方は、
こちらをクリックしてください。

Benesse High School Online|ベネッセハイスクールオンライン

ベネッセ教育総合研究所

Copyright ©Benesse Corporation. All rights reserved.