前回は、私の経験を踏まえて、日本の学校教育のよさや課題についてお話ししました。今回は、どのように課題に取り組んでいけばよいのか、私が校長を務める埼玉県の私立中高一貫校の事例も交えながら、お話ししたいと思います。

考えた解決策を社会で実践してこそ学びになる

教育は、子どもが自分の人生を生きていく準備をするために行うものです。その目的は不変ですが、社会が変われば求められる準備も変わり、教育の内容も変えていかなければならないはずです。今後、世界中で生成AIが席巻し、日本では少子高齢化がますます進むと予測されています。そうした社会を生きていく子どもたちに、学校はどのような教育をすべきなのでしょうか。前回お話しした課題意識も踏まえて、次の3つが大切だと考えています。

1つめは、学びのフィールドを、学校だけでなく、社会にも広げることです。教育とは、次の学校段階への進学や、よい仕事に就くためのものではありません。その目的は、人生で生きていく力をつけることにあります。そのため、社会の実際の問題を解決していくような場を学校の中につくることは、大きな意味があると考えます。

PBL(Project Based Learning)つまり「問題解決型学習」は、自分が見いだした問題の解決を考えるため、子どもが問題の当事者として取り組みやすい学習です。子どもが主体性を発揮し、自分の考えを他者に伝えるといった自己表現も積極的にできるでしょう。また、予測不可能な社会を生きていくためには、想像力と創造力が重要だと言われていますが、それらは使ってこそ磨かれる資質・能力です。自分が関心のあることに没頭できるPBL(問題解決型学習)は、想像力と創造力を発揮する場としてうってつけです。そうした様々な効果が期待できる学びこそ、学校の中だけに閉じこもらずに子どもが考えた解決策を社会で試すことで、学びが深まるとともに、学びの意義を子ども自身も実感できるのではないかと考えています。

子どもが社会に出て活動する際には、活動の場を確保するとともに、社会のことをアドバイスしてくれる専門家の支援が必要です。本校では、企業や自治体との連携を積極的に推進し、活動の場と専門家を確保しています。例えば、次年度に実施する、生徒が制服をつくるプロジェクトでは、デザイン事務所や衣料メーカーと連携する予定です。生徒はデザイナーや製造担当者との協働を通じて、制服デザインのルールを学び、予算を考慮して生地や製法を選ぶことになります。自分たちが着る制服だから自分たちの好きなデザインにすればよいというものではなく、配慮すべきことがあるという社会の現実を学ぶ場になるものと期待しています。

校長を務める西武学園文理中学・高等学校の校長室にて。日本の学校教育をさらによいものにしていくために、新たな取り組みに挑戦していきたいと語る。

英語で「間違ったら恥ずかしい」をなくしたい

2つめは、学校の国際化です。国際教育というと、海外語学研修や留学制度の整備など、日本の生徒が海外に出ていくことに力を入れる場合が多いようですが、本校では、シンガポールやマレーシア、インドネシアなど、主にアジア圏から外国人留学生を大勢受け入れようとしています。学校自体を「ミニ国際社会」にすれば、より多くの生徒が外国の同世代と英語でやり取りする機会が増えるからです。

日本の英語教育は、学習者を英語の母語話者のように育てることを目指しているように感じますが、まず何よりも大切なのは、外国人と英語でコミュニケーションをするマインドを育てることだと考えています。私は、父がアメリカ人、母がイタリア移民2世で、小さい頃からポルトガル語、英語、イタリア語と、複数の言語が飛び交う中で育ちました。中でも共通語である英語が話せたおかげで、アメリカ人、イタリア人、ブラジル人だけでなく、インドや中国、アフリカなど、様々な国の人とコミュニケーションを取ることができました。それぞれに訛りや固有のアクセントがあっても、皆、積極的に話をします。一方、多くの日本人は、発音や文法を気にして、なかなか英語を話そうとしません。その根底にある「発音が上手くできないから」や、「間違ったら恥ずかしい」という意識を、私は変えたいのです。

今後、確実に移民が増えていく中で、英語で日常会話ができることが求められるようになり、英語が話せれば、活躍の場はますます広がっていくはずです。話す英語は母語話者と同じような発音である必要はありません。重要なのは、外国人に自分の考えを伝えよう、相手の考えを聞き取ろうとするマインドです。そうしたマインドを育てる英語教育を日本に広めたいというのが、様々な国の人々と英語でコミュニケーションをとり、ブラジルや日本で英語を教えてきた私の思いです。

幼少期の家族との写真。アメリカ人の父、イタリア移民2世の母を持ち、様々な文化や言語に囲まれて育った。

ICTの活用を前提とした学びをデザインする

3つめは、ICTリテラシーの育成です。スマートフォンやインターネット、生成AIなど、新しいデバイスや技術が登場すると、負の側面が着目され、使用を規制しようとする動きが起こります。実際、私のいとこが住むアメリカのニューヨーク市の公立学校では、学校のネットワークやデバイスで生成AIの技術を用いた「ChatGPT(チャットGPT)」を利用することを禁じていたことがありました(※)。そのとき、いとこの子どもは隣のニュージャージー州に電車で1時間かけて行き、ネットカフェで「ChatGPT」を用いて宿題をしていたそうです。いとこは、禁止されている「ChatGPT」を使用したことについて子どもを叱ったと言っていましたが、電気のない生活に戻れないのと同じように、ICTやAIのない生活も、もはや考えることはできません。これから必要なのは、その特性や危険性を十分に理解して使いこなす力です。

教師には、インターネットや生成AIを使えば取り組めてしまう課題を出すのではなく、それらを使いこなした上で自ら考えるような課題を出すことが求められていくのではないでしょうか。デジタルネイティブではない教師にとっては、ICTを使いこなすことは大変だと思いますが、ICTの活用を前提とした学びのデザインについての研究を、今後一層進めていかなければならないと考えています。教師はICTの専門家ではありませんから、ここでも企業との連携が鍵になると考えます。本校では、IT企業と提携し、生徒はICTリテラシーやAIの活用、プログラミングの基本などを学ぶとともに、企業が行うアプリケーション開発などにも参加して、社会でどのようにICTが活用されているのかを体感しながら学べるようにする予定です。

「一人ひとりの幸せ」という視点を持って教育を

日本の学校教育に貢献したいという思いで日本の大学で仕事をしてきましたが、日本人女性と結婚し、子どもが生まれてからは、より一層、よりよい学校教育を実現させたいという思いが強くなりました。今回お話ししたことは、私が理想と考える学校教育を具現化する施策の一端であり、ほかにも、探究学習などを通じた非認知能力の育成に特化したクラスを来春新設します。まずは本校の教育を変革し、その実践を日本中に発信していくことが私の目標です。

また、日本で暮らす外国人の1人として、在留外国人の子どもの日本語指導の充実などについては、先送りにできない問題だと考えています。本校は私立学校ではありますが、だからこそ、独自に支援の形を構築することも可能です。学校地域貢献の一環として、地域の外国人の子どもたちへの教育支援の方法を模索しているところです。

教育は社会を創ることに寄与するものですが、同時に、一人ひとりが幸せな人生を送るために必要なものでもあります。そうした教育の目的を果たすために、学校教育は何をすべきなのか、教師はどのような役割を果たすとよいのか。これまでの教育活動を大切にしつつ、問題のある点は変えていく柔軟性を持って、これからもこの国のよりよい学校づくりに力を尽くしていきます。

※2023年5月に、ニューヨーク州の公立学校における「ChatGPT(チャットGPT)」利用禁止措置が撤回された。

マルケス ペドロ

西武学園文理中学・高等学校 校長

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