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- 【誌面連動】『VIEW next』高校版 2022年度 10月号
【誌面連動】ウェブで詳しく!『これからの進路指導のための世の中トレンド解説』トレンドワード:水ストレス
2022/10/14 09:30
生徒の学びや進路選択、その後の人生に影響を与えるような革新的な技術や価値観を「社会のトレンド」として、「学ぶ」「働く」「暮らす」の観点から解説します。
本誌記事はこちらをご覧ください。
お話を伺ったのはこの方
【解説者】
東京大学 大学院工学系研究科 准教授
小熊久美子 (おぐま・くみこ)
専門は環境工学。安全な水を安定的かつ持続的に提供するための浄水技術や水供給システムを研究。国内外の遠隔地や離島など、水道未普及地区において実証研究に取り組む。
人口増加や気候変動を背景に、
世界中で水不足が深刻化
世界では今、水不足の危機が叫ばれています。水不足は今に始まったことではありませんが、次第に問題解決に向かうどころか、この先、人口増加や気候変動を背景として、ますます深刻化すると予測されています。
水不足により日常生活に不便を強いられている状態を、「水ストレス」と言います。その指標として、人口1人あたりの年間使用可能水量が用いられ、1,700トンを下回る状態になると、水ストレスが高いとされます。今後、世界の多くの地域で水ストレスは高まると考えられており、水不足に起因する飢餓の広がりや、水を巡る紛争などの事態につながることが懸念されています。
実は日本は、
世界有数の「水の輸入国」
日本は、水資源が比較的豊富な国であり、年間を通して水不足に見舞われるような事態に陥ることはほとんどなく、水ストレスの状態にはありません。水道の水をそのまま飲用できる、世界でも数少ない国でもあります(図1)。しかし、穀物や食肉など、食料の多くを輸入に頼っている状況を考えると、世界で起きている水ストレスと無関係とは言えません。
生産に大量の水が必要となる穀物は、家畜の飼料にも使われます。輸入した食料を自国で生産すると仮定した場合に推定される必要な水の量を表す「バーチャルウォーター(仮想水)」という考え方を踏まえると、日本は世界有数の水の輸入国であり、世界の水ストレスの問題の重要な当事国と言えるのです(図2)。
今後、世界の水不足が深刻化すると、食料生産が滞り、食料不足や食料価格の高騰といった、私たちの生活に大きな影響をもたらす事態に発展しかねません。実際、世界の穀倉地帯では、地下水の過剰なくみ上げなどにより、水資源が枯渇しつつあるといった指摘も耳にします。そうした状況を考えると、国内の農業を振興して食料自給率を高めることが、日本にとっては水ストレスの問題解決に向けた対策の1つとなるでしょう。
水の再生処理技術が、
水ストレスの問題解決の切り札に
世界の水ストレス問題を解決するための有効なアプローチの1つが、水処理技術です。例えば、海水を淡水化したり、下水を処理して再生利用したりする技術は、既に実用化されています。日本でも、下水の処理水は、農業や工業、消雪、水洗トイレなどに用いられています(図3)。
世界に先駆けて国家的に水処理技術に投資した国の1つが、シンガポールです。同国は、地形的に雨水を貯水しづらく、慢性的な水不足に悩まされてきました。そのため、長年隣国のマレーシアから水を輸入していましたが、国民の生命に直結する水の大半を他国に委ねる状況は、大きなリスクであると考え、数十年前から、海水の淡水化や、下水の再生利用を実用化する技術開発を進めてきました。
そして、下水を飲用可能な水質にまで処理して利用する「NEWater(ニューウォーター)」と呼ばれる仕組みを開発しました。今では、民間の給水量の4分の1程度がNEWaterで賄われるほど普及した仕組みですが、その過程では、大きな壁が立ちはだかりました。それは、処理された下水を利用することに対する、人々の心理的なハードルです。水質に問題がないとは言え、すんなりと受け入れられる人は多くなかったのです。そのため、下水再生施設(NEWater Plant)で処理された水は直接使わず、いったん貯水池に放流し、再度取水して浄水場で処理してから利用するといった手間をあえてかけることで、心理的負担を少しでも軽減するように努めました。そのように、いったん放流先として利用する水域は、一般に「環境緩衝帯(Environmental Buffer)」と呼ばれています。
技術開発だけではなく、
人々の心理や行動への配慮が不可欠
人の生命活動に直結する水問題は、技術的な工夫だけで解決することは不可能で、人々の心理や思考、行動にも配慮する必要があります。私の研究室では、LEDが発する紫外線で水を消毒処理し、水道インフラが整わない途上国や山間部、被災地などで給水システムを確保する技術を開発しています。その給水システムを、不衛生な水の使用により感染症がまん延している途上国に普及しようとしていますが、現地の人から、「子どもの頃からこの水を飲んで育ったから、浄水する必要はない」などと断られるケースが少なくありません。世界中の人が安全な水を利用できる環境を整えるためには、技術開発に加え、心理や教育などの面からのアプローチも必要なのだと実感しています。
さらに、水処理技術を世界に広げる上で大きな課題となっているのが、コスト面です。既に様々な水処理技術が開発されていますが、コストが壁となってそれを導入できないケースが実に多くあります。その状況を放置すると、貧しい国や地域だけが水問題に苦しみ続けることになりかねず、早急な改善が求められています。
【学ぶ】
文理の枠組みにとらわれずに、
問題解決を図ることができる人材が求められる
水ストレスの問題を根本的に解決するためには、多くの学問分野の研究成果を結集させる必要があります。水処理技術の開発に直接的にかかわるのは工学ですが、それ以外にも、水文学や気象学、公衆衛生学、農学、経済学、さらに人の心理や行動を研究する心理学などが関連します。水を巡る諸課題を克服するには、社会や大学において文理の枠組みにとらわれずに発想し、考え、問題解決を図ることができる人材がますます求められるでしょう。
身近な事象が世界的な社会問題につながっていることを実感しやすい水ストレスは、探究学習のテーマとして適していると思います。例えば、バーチャルウォーターについて学び、普段何気なく口にしている食べ物が、生産地において水を大量に消費して作られていると知ることは、水問題について考えるきっかけになるはずです。
また、水ストレスは、SDGsの目標のうち、目標6「安全な水とトイレを世界中に」に直結している問題ですが、それ以外にも、目標2「飢餓をゼロに」、目標3「すべての人に健康と福祉を」、目標5「ジェンダー平等を実現しよう」、目標14「海の豊かさを守ろう」などにも関連しています。水ストレスをテーマに探究を深めることは、社会問題を多面的に捉える学びにつながるでしょう。
【働く】
企業の社会的責任になりつつある
水問題への取り組み
日本の企業では、カーボンニュートラルの取り組みが広がっていますが、水問題への貢献を社会的責任の1つと捉えて積極的に取り組む企業は、必ずしも多くはありません。生産工程において水資源の確保が必要な飲料メーカーなどの一部の企業は、水源林の保護や水の使用量の削減、水の再生利用の促進などに力を入れており、今後、そうした動きが産業分野を超えて広がっていくことが考えられます。
他方で、大企業からベンチャー企業まで、様々な企業が新たな技術を開発して展開する「水ビジネス」は、将来有望な分野の1つとして注目されています。水ビジネスの活性化によって、イノベーションが促進され、コストや地域格差などの課題をクリアし、問題解決に向けて大きく前進することが期待されます。
【暮らす】
「ゼロカーボン」ならぬ、
「ゼロ廃水」を目指す社会となるか
この先、水ストレスに対する社会的な関心が高まるに連れて、人々の意識や生活様式も徐々に変化していくことでしょう。日本には、「湯水のように使う」という言葉があるように、水はどれだけ使っても自然に湧いてくるイメージがあります。しかし、海外で水を大量に使って生産した食料が日本の食卓に上がることからも分かるように、目に見えない形で消費している水資源量の膨大さと、その環境への影響をイメージし、水は世界を循環する資源であることを理解すれば、決して浪費できるものではないことに気がつくはずです。水ストレスやバーチャルウォーターの考え方に目を向け、さらに、自分はどこから来た水を使い、その水はどこに流れていくのかといった循環を意識するようにすれば、水資源を守る行動が自然とできるようになると期待します。
世界的な潮流として、「Zero Carbon(ゼロカーボン)」が目標に掲げられていますが、水ストレスの高まりに伴い、廃水を一切出さない「Zero Wastewater(ゼロ廃水)」を目指す社会が到来するかもしれません。現在の技術でも、雨水を含む下水を再生処理・再利用して外部からの水供給を必要としない設備を作り上げることは技術的に可能です。実際に宇宙ステーションでは、排水を再生処理して再利用しています。今の日本は、そこまで切迫した状況にはありませんが、気候変動を始めとするリスク要因を考えると、この先もすべての地域において水資源が安定的に確保できるとは限りません。
水ストレスの問題の解消は、持続可能な社会の実現には不可欠なテーマです。ぜひ一人ひとりが関心を持ち、具体的な行動につなげていただきたいと思います。