
前編では、社会全体が軍事的世界観と冒険的世界観のはざまにあることをお伝えするとともに、学校教育における探究学習の推進に伴い、その重要性が高まっている「問い」について、よくある誤解やよい問いの事例をお話ししました。後編では、探究的な学びを実現する上で学校に求められる変革の視点や、特にミドルリーダーや管理職の先生方に期待する具体的なアクションについてお話しします。
ルールは手段
チームを動かすためには問いかけそのものを工夫し、皆が話しやすくすることが重要であると、前編でお伝えしました。しかし、それ以上に先生方には、学校を包み込んでいる暗黙のルールの束を見直すことが求められているように思います。
そうした暗黙のルールが最も色濃く表れているのが、教室という膨大なテクノロジーが詰まった空間です。例えば窓は正面に向かって左側にあり、計算された高さの教壇があり、考慮された形状の机があります。窓を正面に向かって左側にしているのは、大半の子どもが右利きであることを前提に、ものを書く時に手元が影にならないよう、光が左からあたるようにしているからです。教壇は教室全体を見渡しやすい高さにあり、自然と教師に注目が集まるようになっています。机は椅子に座ると両脚が机の脚で固定されるため、正面から体の向きを変えにくい作りになっています。つまり教室には、子どもの学齢や教師の力量に左右されることなく一斉授業を円滑に進め、教師の指示を全体に行き渡りやすくするための仕組みが満載なのです。
戦後あるいはそれ以前の歴史的な経緯から、教室には現在も高度経済成長期などに求められた「均質で効率的な集団学習」を行うための名残が色濃く感じられます。そこには、説明されれば必然性が理解できるルールが数多くある一方で、理由を聞いても理解できないルールや、そもそも誰も説明できないルールが残っています。本来、ルールとは人間が社会生活を送る上で皆が便利に、快適に過ごせるようにするための手段です。信号が青の時に横断歩道を渡り、赤の時は止まるというルールを私たちが守るのは、皆が安心して道路を使えて便利だからです。その利便性に共感したり、納得したりすることができなければ、ルールは機能しないはずです。しかし、長年踏襲されてきた管理型のシステムが、ルールそのものの意味や不合理さに対する感度を低下させている側面があります。これからの時代を担う子どもたちを育む教育現場が目指すべき方向性は「軍事的世界観(画一的な管理)」ではなく、「冒険的世界観(自律的な探究)」ですから、そうした側面は改善していく必要があります。
既存のルールをただ守っているだけでは皆が仮面を被ってしまう
今、学校現場で活躍しているミドルリーダーや管理職の先生方は、冒険的世界観の価値観を持ちながらも、実際の学校現場はまだ軍事的世界観の環境であり、冒険的世界観と軍事的世界観の板挟みになっているのではないでしょうか。例えば、ある髪形が校則で禁止されているとします。しかし、その髪形はビジネスパーソンにはよく見られるもので、清潔感もある。それにもかかわらず、校則では禁止。教師も「なぜ禁止なのだろう」「校則、変えられないのかな」とモヤモヤしている。しかし、事を荒立てたくないので黙っている。好き好んでではないが、その謎のルールを「校則だから守りなさい」と言って生徒たちに強いている。校則に限らず、そうした慣習や学校の雰囲気を複雑な思いで守っている教師は少なくないのではないでしょうか。
ミドルリーダーや管理職の先生方にこそ、明確な根拠がない規則や慣習の再生産を止める役割を果たしていただきたいです。心理学でいう過剰模倣(オーバーイミテーション)という作用をご存じでしょうか。他の動物と異なり、人間は他者の行動をまねる際によい部分、必要な部分だけでなく、悪い部分や無駄な部分も含めて過度にまねをしてしまいます。例えば、親が子どもにパズルを解く手順を、「よし、パパが見せてあげるね」と腕をまくって説明したとします。すると子どもは、パズルを解く手順とは関係のない腕をまくる動作までまねをします。そのように、何だか分からないけれども上の世代の人たちがしていたことを丸ごと次の世代がまねしてしまう可能性があるのです。そうした作用もあって、明確な根拠や正当性が曖昧なまま、暗黙のルールとして踏襲されていることは少なからずあるのではないでしょうか。ミドルリーダーや管理職の先生方には率先してそのような謎のルールに疑問を持ち、廃止したり、変更したりする機会をつくっていただきたいと思います。
今あるルールを疑わず、守ることだけにとらわれて生きていると、人はよい教師、よい大人、よい親を無意識に演じるようになります。演じることで、モヤモヤを打ち消して現実に適応し、鎧をまとい、仮面を被って働きます。しかも仮面は連鎖するもので、ミドルリーダーや管理職が仮面を被っていると、そのすぐ下の立場の教師も仮面を被るため、さらにその下の立場の新採や教師歴が浅い教師も仮面を被り、自ら一兵卒を志願した集団のようになってしまいます。当然、本音の話し合いをすることや、その前提となる根本的な問いを立てることは難しいです。
教師一人ひとりが問いのデザイナーになろう
もしミドルリーダーや管理職の先生方が若い頃に模倣してしまっていたことがあれば、それを若手に踏襲させるのではなく、むしろ変えるきっかけを提起するコミュニケーションを取っていただきたいと思います。管理職やミドルリーダーがまず仮面を外し、自分たちが置かれている環境に対して問いを立てられるようになっていくと、それは連鎖していきます。そして学校は下の世代にとっても、ものすごく居心地がよい場所になると思います。「こういう雰囲気って何かいいな」「話し合ってよい方向に変えられるんだな」などと感じられる機会が積み重なる場になっていくのです。1度でもよいので、モヤモヤを感じていたルールを変える経験ができると、普段から疑問を感じ、それを問題提起できる、つまり問いを立てられるようになります。ミドルリーダーや管理職の先生方には、ルールに従うだけではなく、変えることもいとわない、問いのデザイナーやルールのデザイナーになっていただきたいです。そうした、普段から身の回りのことを問う教師の態度は生徒に必ず伝わります。生徒に探究することを求める以上は、教師自身が探究する必要があります。すなわち、今回お話ししたような問題提起とそれに伴う行動を教師が起こすことです。それにより、探究の授業の質が一層向上し、探究的な生徒が育つ学校になっていくはずです。
軍事的世界観と冒険的世界観が混在している今だからこそ、その環境の中にいる先生方一人ひとりが変革のキーマンです。時代に合わなくなった無意味な習慣やルールは手放し、新しい考え方を取り入れるようにしてください。 先生方にはよりよい問いや探究のありかたを考える中で、問いのテクニックもさることながら、教師、ひいては学校全体から湧き出てくる探究マインドを先生方自身に育んでいっていただきたいと願っています。
(本記事の執筆者:神田 有希子)


