AIとデータ利活用の進化が著しい現代、シンギュラリティ*と言ってもよい変化が起きつつあります。今後も加速度的に変化する、AI×データ化された社会で必要とされる人間ならではの力とはどのようなものなのでしょうか。

*もともとは物理学における特異点。ここではRay KurzweilがSingularity is Near (2005)で語った「人間が技術の力によって生物学的な限界を超越する時」の意味。

シンギュラリティはすぐそこに

ここ3年から5年ほどは、人類とAIの関係にとって歴史的な時期となる可能性が高いです。昨年、MidjourneyChatGPTと立て続けに強烈なアプリケーションが出てきました。いわゆるGenerative AI(生成系AI)は、現在、大半の質疑についてまっとうな回答を文章で行い、曲をつくったり、マンガのコマを描いたりすることができます。人間がそれに少し手を入れるだけで使えるレベルです。また、AIが、学術論文を自動生成し始めていることをご存じでしょうか。実際、機械学習に関する国際会議団体の1つであるInternational Conference on Machine Learning(ICML)は、「完全に」ChatGPTのようなAIによって生成されたテキストを論文に使うことを正式に禁止しました。

これからは、ハードな技術やアセットだけに依存した従来型の経済や産業、企業の形態、ビジネスモデルが消えていくことはほぼ確実です。代わりに、ありとあらゆる産業分野においてAI×データ化が進み、産業がこれまでの垣根を超え、ダイナミックに組み変わっていくでしょう。

これは既存のオールドエコノミー(例:自動車、電力会社)、ニューエコノミー(例:Google、Microsoft)と言うより、現在はサイバーな技術を中核としてリアルを刷新する「第三勢力」的な企業が目をみはるスピードで革新を進めているということです。わかりやすい事例はテスラでしょう。彼らはモビリティ会社ではなくエネルギーの会社として自社を捉え、クルマだけでなくソーラー、バッテリーも含めた低環境負荷な社会をつくろうとしています。

モノやカネの多少だけでなく、AI×データの質や量、利活用のレベルが、競争の勝負を決めるようになります。国内外を問わず、どのような業界や業種で仕事をするにせよ、AI×データを活用することが大前提で社会が動きます。AI×データを基に新たな商品・サービスが生まれ、産業が興り、さらに新たな化学反応を社会に起こしていくのです。AI×データに決められた使い方はありません。創りたい未来のために、そのポテンシャルをどう生かすかが鍵になり、この過程で新しいAI×データのプラットフォームがいくつも生まれるでしょう。現在、上記のテスラや同じくイーロン・マスク氏が率いるスペースXは米国の工学系大学院生の人気をみると、数年前よりGAFAMよりも上です。

自分らしく知覚し、適切な問いを立てられない人は
価値を生み出せない時代に突入する

そうした状況を踏まえて、これからの時代に必要な人材について考えてみましょう。AI×データ化によって消える職業など、AIと人間の知性を比較・競争する観点での話をよく耳にしますが、AIは人間の敵ではありません。ここから起きるのは、⾃分とその周りの経験だけから学び、AIやデータの⼒を使おうとしない人と、この力を使い倒す人の戦いになります。当然後者が強いことは言うまでもありません。このAI×データの力を解き放てる人がこれからの未来を担います。

もちろん、すべての人がAI&データに関する専門家になる必要はありませんし、それは実質的に不可能です。しかし、何が基礎的な構造で、どのような価値が生み出され、どのような課題があるのかという基礎的なリテラシーは身につけておく必要があります。それは、車の自動運転技術がどれほど進んでも、内燃エンジン車を運転する人はその基本的な構造について知っておく必要があるのと同じです。適切な知識がないと、適切な使い方ができないばかりか、キカイに適切に指示すること、キカイのアウトプットを適切に正すことすらできない人になってしまうからです。

ChatGPTに代表される変化は、決まった答えがあるケースにおいて、問いを多々与えて早く正確な答えを出すことを競う今の教育は、無意味な世界に近づいていることを意味しています。それはキカイのほうが得意であり、キカイに任せる時代に一層突入してしまうからです。

意味のある問いを立てる、生み出された答えを評価し、更に正しく問いや指示を与えるという能力が、決定的に大切になったのです。本当の意味で「教養」の時代に突入したということでもあり、これはかつて知性の本質について考察した際に結論、また中核概念として述べた「知覚」の磨き込みの時代に突入したということでもあります(参考:安宅和人「知性の核心は知覚にある」DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー2017年5月号)。

多様な価値や美しさを複合的にそして生々しく理解できる力があるか、それに基づく美意識、〇〇がほしいという心、これではダメだと分かる皮膚感覚、、この辺が本当に勝負になるのです。

AIが持つことのできない「心のベクトル」を大切に

もう少し基本的なところから考えてみましょう。AIが次々と人間の行為を代替するようになった時、最後に残る人間の価値とは何でしょうか。それは何がほしいかを描くことができるかどうかであり、キカイが生み出すものにダメ出しをできる力です。「こういうことがいいよね。こういうものが美しいよね」といった感性を持ち、その人なりに感じる「心のベクトル」というべきものです。そのベースにあるのは、その人なりの知覚です。知覚とは周囲の情報を統合し、その意味を把握することです。同じ経験をしても、人によってその知覚できる広がりも深さも多層性も、全く違います。これはどこから来るかといえば、その人の知的経験、人的経験、そして思索経験です。

どんなに優れたAIでも、人間のように「知覚」することはできず、「意志」もありません。そのため、新たな局面を迎える場面で、目指す状態を描くこともできません。基本的には既知の情報からの内挿であるため、解決事例が少ない問題には対応できませんし、自ら「問い」を生み出すこともできません。淡々と説明はできますが、熱意を持って人を動かす力もありません。それらの能力は、キカイには持ちづらいものであり、その基となる力を持っている人こそが、これからのAIとデータを使い倒す社会において価値のある存在になるということです。もちろん読み書きそろばん的な力は必須ですが、あくまでキカイに相当代替させることを前提に、一人ひとりを育てる必要があります。漢字の書き取りや計算ドリルを徹底的にやることに、もはや意味はありません。手で多くの計算をしたり、大量の文字を手で書いたりすることは、もうないからです。頭で覚えるとか、頭を使わずにできるまで身体に叩き込むとかでなく、皮膚感覚で意味が理解できるものを増やすことのほうが、はるかに大切です。

日本の初等中等教育は、劇的と言ってもよい変化をしなければ、本当に「High IQのただ使役させられる人」を大量に生み出す装置になる可能性があります。学生たちが学校とは独立に活動する部分が多いとはいえ、小中高で相当の自由度が与えられなければ、問いを生み出したり、自分なりに感じ評価したりする力は、相当にダメージを受けるだろうということです。指示された仕事をそつなく手早くできる人よりも、物事にこだわり、つまずき、不器用にしか進められない人の方が、余程その人らしい知覚を育てている可能性があるのです。

AI×データは人間の敵ではなく、人間が存続・発展していくために必要な武器であり、これらのツールを使うのは人間です。未来を生きる子どもたちには、自分が感じたことを基に、もっとこうしたい、ああなりたいと、その子なりの夢を持ち、受け身ではなく、周囲と競争するのでもなく、いろいろな人とつながって新しいことを仕掛けられる人になってほしいと思います。

(本記事の執筆者:神田 有希子)

安宅和人(あたか・かずと)

慶應義塾大学 環境情報学部教授、Zホールディングス株式会社 シニアストラテジスト

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