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【誌面連動】「先生なら、どうしますか?」「自分には価値がない」。 自己否定をする生徒の苦悩を受け止め切れなかった担任としての後悔
青森県立七戸高校 山下友美
2026/10/20 08:30
教師としての指導観を問われた「あの瞬間」を、当事者の教師が振り返る「先生なら、どうしますか?」。本誌で紹介したエピソードの土台となる教師の指導観について、ウェブオリジナル記事でより詳しく紹介します。
山下友美
同校に赴任して 10 年目。福祉健康系列主任。福祉科。「産業社会と人間」において企業見学を実施するなど、生徒の進路意識の向上に力を入れてきた。学習状況や進路観、発達面などで生徒の多様化が進む中、生徒について教師間で対話する重要性が一層増してきていると考えている
励ますことが信じることだと思い違いをしていた
1年次は何事もなく登校していたAさんは、2年次の夏季休業明けから学校を休みがちになりました。担任の私は、Aさんが登校した際には何気ない口調で「どうしたの?」などと声をかけましたが、学校を休む具体的な理由を聞くことはできず、返ってくる言葉は「自分のことが嫌だ」といった否定的なものばかりでした。
中学校時代に不登校の傾向があったことやAさんの繊細な性格を考えたら、早期に保護者や医療機関などと連携を図り、Aさんを支援するべきだったと思います。そうすれば、よりAさんに合った学習環境で、将来の自立につながる学びを実現できていたかもしれません。しかし、当時の学校現場には今ほど思春期の子どもの発達や支援に関する知識がありませんでしたし、スクールカウンセラーの巡回相談の仕組みも導入されたばかりでした。
「自分は見た目が悪い」「字も汚い」「自分には価値がない」といった自己否定の言葉を口にするAさんに、私は「そんなことはないよ」と伝え、私が感じていたAさんの魅力や長所を挙げました。そして、「1年生の時に頑張って登校を続けたことは本当に立派だった」「勉強だってできる」といった言葉をかけ、もっと自分に自信を持つように言いました。しかし今にして思えば、それは私の価値観でAさんのことを語っただけで、Aさん本人の苦しみに寄り添っていたわけではありませんでした。生徒の苦しみを受け止めるのではなく、「あなたなら大丈夫」と励ますことが「生徒を信じること」だと私は履き違えていたのです。結局Aさんは欠席を続け、転学することになりました。
その後、私は教師としての経験を積むだけでなく、医療や福祉の世界で働く専門家との交流を通して精神的なケアについて学ぶ中で、「自分のことが嫌だ」といった言葉を口にする生徒に、「そんなことはないよ」と励ますことは、本人の思いを否定することになるのではないかと思うようになり、自分が取ったAさんへのかかわり方を心から後悔しました。もしも私がAさんの苦しさを「そんなことはないよ」と否定するのではなく、ただ受け止める大人としてそばにいたのならば、それだけでもAさんは救われたのではないか。そんな思いが私の中にずっと残っています。
目に見えるものだけで生徒のことを理解できるとは限らない
生徒の言葉にもっと耳を傾けなければと痛感した、忘れられない経験がもう1つあります。
Bさんは成績が振るわず、学習課題の提出状況も芳しくありませんでした。国家試験の合格が必要な職業を目指していたBさんにとって、基礎学力の習得は必須でした。クラス担任だった私は、朝早くから放課後遅くまでBさんの学習に伴走しました。しかし私は内心では、Bさんは途中で目標を諦めるのではないか、もしかすると退学もあり得るかもしれないと思っていました。そのため、「あなたの学力や適性を考えると、別の目標を目指した方がよいかもしれない」と、進路変更を勧めたこともありました。
日々の学習に取り組む姿勢は徐々に改善したものの、Bさんの成績は低迷したままで、国家試験は不合格となりました。しかし、Bさんは目標を諦めるどころか高校卒業後、働きながら国家試験の合格を目指すことを決意し、私はBさんのサポートを続けました。その結果、4回目の受験で合格を勝ち取ったBさんは現在、職場にはなくてはならない人材として活躍しています。
授業中にノートをちゃんと取らないし、宿題もしてこない。きっとやる気がないのだろうと、私は高校時代のBさんをそのように見ていました。でも実はBさんは一度や二度の失敗では諦めないくらいのやる気を持っていました。自分の目に見えるものだけで生徒のことを判断していた私は、Bさんのことも十分理解できていなかったのです。だから「別の目標を目指した方がよいかもしれない」といった言葉をBさんにかけてしまったのだと思います。
Bさんは最後まで自分の思いを貫いてくれたからよかったですが、「別の目標を目指した方がよいかもしれない」という私の言葉でBさんが目標を諦めてしまう可能性もあったと思います。生徒にかかわることの責任の重さ、そして怖さを思い知らされました。
生徒の言葉に耳を傾けられる大人でありたい
自分の目に見えていることだけで生徒を判断するのではなく、生徒の言葉に耳を傾ける。そして、その言葉を否定せずに受け止める。これまでの教員人生において様々な生徒たちと出会う中で、私の教師としてのあり方が定まっていきました。
今、考えると、当時のBさんは決して不真面目だったわけではなく、勉強の仕方が分からなかっただけだったのかもしれません。あるいは家庭の事情で落ち着いて勉強することができなかった可能性もあります。だから今なら、「家ではどんな勉強をしているの?」「家ではどんなふうに過ごしているの?」などと聞くかもしれません。もちろん、職業に対するBさんの思いも聞くと思います。
そして、もしAさんが目の前にいたら、「自分のことが嫌だ」と言うAさんの言葉を真正面から受け止め、「自分の言葉にただ耳を傾けてくれる大人」であり続けることを目指します。Aさんが自分の思いを私に語る中で、自分の気持ちを整理したいと思い始めたことが分かったら、Aさんに「自分の中に許せる部分はある?」「友達はなぜあなたと仲よくしていると思う?」などと尋ねてみるかもしれません。もちろん、そうした質問ですぐにAさんの自己否定の気持ちが変わるとは思いませんが、それでも半年、1年とAさんのそばに居続ければ、Aさんの自立を支援することができたのではないかと思うのです。
ただ話を聞いてもらう中で、生徒は自分のことを整理していく
生徒の言葉を聞き、思いを受け止める。それだけで変わっていった生徒を私はたくさん知っています。
Cさんは自分が目指す進路と保護者が希望する進路が一致していました。しかしある時、担任の私に「実はこの道に進みたい」「でも親には言えない。怒られるから」と急に打ち明けてきたのです。それ以降、毎日のようにCさんは私に「親に言いたい。でも、言えない」と愚痴をこぼすように自分の思いを話しました。私は「そうなんだね」と聞くだけで、「親に早く言いなさい」とも、「私が話してあげようか」とも言いませんでした。
堂々巡りのようなCさんの話を聞き続け、4か月ほど経ったある日、Cさんが笑顔で私に「先生、親に言いました。めちゃくちゃ怒られました」と言ってきました。Cさんは自分の気持ちを固め、思いを貫いたのです。Cさんの変化は自分自身で起こしたものでした。
まとまっていなくても、見通しが立っていなくても、生徒が語る言葉にとにかく耳を傾ける。苦しい気持ちをためこまず、教師に吐き出す中で、生徒は自分のことをゆっくりと整理していくのだと思います。
生徒の言葉を聞くことは、進路の重大な岐路に立った生徒に対してだけ大切なのではありません。頭髪や服装に関して校則違反をした生徒に対しても、私は頭ごなしに叱るのではなく、なぜ今日はそうしてきたのかを聞くようにしています。突然髪を染めてきた生徒に、いつ、どこで、どうしてと聞く中で、例えば、両親の離婚や部活動での挫折など、重大な出来事があったことを教えてくれる生徒は少なくありません。生徒の話を聞く中で、校則違反であったとしても、それがその生徒にとっては前向きになるための大切なきっかけ、救いになっていたのだと感じることが何度もありました。
私たち教師は互いの言葉に耳を傾けているか
近年、自己否定の思いに苛まれている生徒はますます増加しているように思います。面談などで「自分の長所は何だと思う?」と尋ねても、「ありません」と答える生徒がたくさんいます。しかし、生徒には社会に出る前に、自分の嫌なところだけでなく、自分の長所も自覚し、自分のことを丸ごと受け入れてほしいと私は思っています。自己否定感だけを抱えて世の中に出てしまうと、職場や地域で直面する理不尽さに心を折られてしまうからです。
「自分のことが嫌だ」と言う生徒が、自分の得意や長所に気づけるような機会を高校時代にたくさんつくってあげたいと私は思っています。自分のことを知らない学校外の大人と出会える探究学習もそうした機会の1つですし、アルバイトも高校生にとってとても価値のある時間だと思います。
私たち教師に求められるのは、目に見えることだけで生徒のことを決めつけないこと、自分の判断を生徒に押しつけないことだと思います。基礎学力の定着度を測る簡単なテストで苦労する生徒を、「ちゃんと勉強していない」「やる気がない」と否定的に見てしまうことはないでしょうか。そこには必ず理由が存在します。発達障害、ヤングケアラー、貧困、自分の力では解決が困難なそうした様々な問題を抱えた生徒が社会にいることを私たち教師は知っています。そうした知識と目の前の生徒を結びつけて見ることが必要だと思うのです。
突然茶髪にしてきた生徒に「どうしたの? 何かあったの?」と尋ねる私に対して「甘やかしている」「校則違反だからすぐに染め直すように指示するのが当然だ」と考える先生もいるでしょう。そのような先生と私は生徒への向き合い方が異なるのだと思いますが、「生徒のために」という思いは同じはずです。生徒のためにどのような言葉をかけるとよいのか、私たち教師も自分の判断を同僚に押しつけず、自分とは異なる指導観に耳を傾けることが必要なのだと思いますし、そのための時間が学校にもっとあったらよいのにと、私は思うのです。

