私は2025年7月からアメリカに留学し、教育における生成AIの効果的な活用のあり方について学んでいます。本連載では全3回にわたり、アメリカで現在どのような「教育×AI」の議論が行われているのかを紹介しながら、現地での学びを通して得た気づきをお伝えしていきます。

そもそもなぜアメリカへ?

IT企業から教師に転職した私は、英語教育とITの高い親和性に可能性を感じ、これまでZoomを用いた海外との交流や、VRによる没入感のある学習など、いわゆる「真正性(authenticity)」のある学びをどのように教室で実現するかを模索してきました。

そうした中、2022年に登場したChatGPT。生成AIの活用は、そうした実践の延長線上にありながら、従来のテクノロジーとは明らかに一線を画すものでした。個別最適な学びを実現し得る一方、思考のショートカットのリスクも孕む「諸刃の剣」をどう使いこなすべきなのか、試行錯誤を繰り返してきました。

私は、「今まで実現できなかったことができる」×「生徒が自身の考えの盲点に気づける」——この2つが重なることをAI活用の判断軸と見据えて、英文の個別添削やディベート、ウクライナの学生と交流する前の”AIとの模擬交流”で活用し、学びの選択肢が大きく広がる可能性を感じました。

しかし一方で、「この使い方は果たして本当に生徒のためになっているんだろうか?」という疑問が頭をもたげるようになりました。そうした中、EdTechの最先端であり生成AI発祥の地でもあるアメリカに行けば、効果的な活用法を学べるのではないか——そんな思いを抱き、大学院への留学を決断しました。

AIが突きつける「そもそも」の問い

留学して以来、AI活用のヒントを得るべく所属先のハーバード大学の授業に限らず、MITやボストン大学、ペンシルバニア大学などを訪れ、AI×教育を積極的に推進している研究者や実践者の話を伺い、シンポジウムや現地の中高の教員向け研修にも参加してきました。

しかし学べば学ぶほど「解」以上に「問い」で満たされていくのを日々実感しています。そうした中において、見えてきたことは大きく2つあります。一つはAI活用に関する確立された方法は、アメリカにおいてもまだ存在しないという事実。そして、AI活用の模索は私たちを教育の「そもそも」を見つめなおさせる好機でもあるということです。

例えば、AI活用の議論はしばしば、「学校はそもそも何を教えるべきか」という問いに行き着きます。この点について、あるMITの教授が次のように述べていたのが印象的でした。

「MITのコンピュータサイエンス学部においてさえ、AIを前提に何をどう教えるべきかを必死に模索している。だからあらゆる校種の先生方が同様の悩みを抱えるのは当然だ」

この言葉が示すのは、AIの問題が単なるツールの活用方法ではなく、「何を学びとするのか」という学習観そのものに関わる問いであるということです。国や地域に関係なく、世界中の教育者が今この問いに向き合っているということ、そしてAIは、教育の当たり前を見つめ直す好機でもある——これは、私にとって大きな気づきの一つでした。

AI時代における「対話」とコミュニティづくりの重要性

一方で、アメリカで特徴的だと感じたのは、こうした問いに対して、徹底して対話が行われていることです。成功事例だけでなく失敗事例も共有され、多様な立場の人々が議論に参加しています。そういう意味ではAI活用に関する知見は、誰かが一方的に示す”固定知”ではなく、対話を通して更新され続ける”流動知”として扱われているように感じています。

そして必然的にこうした対話は学校や学区というような枠を取り払った草の根的な学びのコミュニティの形成にも繋がっています。AIにおいては先述の通り、現状において前例も正解もないからこそ、個々の実践を閉じたものにせず、コミュニティの中での共有や議論を重ねながら、より良い知見へと育てていくことが重要なのだと感じています。

そして、こうした対話を通じたコミュニティづくりを、どうすれば日本の教育現場でも育んでいけるのか、これが今私が向き合っている問いの一つであり、教育に携わる方々と一緒に考えていきたいことでもあります。

次回は、こうした対話が一層重要になる「ガイドライン」の在り方についても触れたいと思います。

教育における生成AIの活用やアメリカの実情について関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひお気軽にご連絡ください。こうした対話の輪を、日本の教育現場でも少しずつ広げていければと思っています。一人でも多くの方と繋がれることを楽しみにしています。