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新世代toi-time 第8回テーマ「評価」とは
問い「何のために、どのように、いつ、『評価』をするべきなのか」
2026/03/13 12:00
H先生からの問い
「評価」について悩んでいます。何のために、どのように、いつ、評価するべきなのか。アドバイスをいただきたいです。
コラム執筆者

市立札幌藻岩高校
對馬光揮(つしま・こうき)
1.悩んでいるときは、「言葉の整理」から始める
考えさせられる「問い」をありがとうございます。考えれば考えるほど、分からなくなるテーマの1つだと思います。評価とは何か。そもそも、何のために評価するのか……。
まずは、「形成的評価」と「総括的評価」、「個人内評価」と「目標準拠評価」を整理するだけでも、頭の中がすっきりしてくるかもしれません。
2.「形成的評価」と「総括的評価」――生徒の学習改善と教師の授業改善に向けて評価する
「形成的評価」とは、生徒の成長を促すことを目的として、生徒が自分の状況を把握したり、教師が自身の指導を改善したりするために行われる評価のことを指します。意外かもしれませんが、形成的評価では教師の主観で評価する指標を決めてもよく、また、生徒一人ひとりに対してその評価を行う必要もありません。「多くの生徒がうなずいているから、次に進んでもよさそうだな」「学力の高いこの生徒が理解できていないのだったら、もう少し丁寧に説明しよう」といった判断をすることも「形成的評価」に含まれます。
一方で、「総括的評価」は「評定」をつけるための評価で、最終的な学習の成果をジャッジするために行われます。当然それは全生徒を対象として行われる評価であり、その記録を取る必要があります。また、評価の妥当性も求められます。「なぜ、この評定になったのですか?」と生徒や保護者に聞かれた際にきちんと説明できなければいけないのは、「総括的評価」によってその生徒の学習状況を評価したからです。
そのように整理すると、毎回の授業で求められるのは「形成的評価」であり、それは常に細かく記録して評価する必要はないということになります。生徒の学習改善と教師自身の授業改善に向けて、授業中は「形成的評価」を意識するとよいと思います。
3.「個人内評価」と「目標準拠評価」――評定には使えなくても、成長を支える評価がある
次に「個人内評価」ですが、それは縦軸の考え方(年度初めと比べて出来るようになっている)と横軸の考え方(国語は苦手だけれども数学は得意)があり、「評定」に落とし込むことはできない評価となります。一方で、「目標準拠評価」は文字通り目標に準拠したもので、評定をつける際の評価となります。
自動車免許の試験を例に、「個人内評価」を評定に落とし込むことができないことをご説明します。例えば70点以上を合格とする場合、どれだけ頑張ったとしても69点だと不合格になります。そこで「最初は10点しか取れなかったけれども、頑張って69点まで取れるようになったのだから、免許証を発行してください!」といったように、「学習し始めた頃と比較して得点が伸びた」といった評価や、「他の教科に比べると頑張っているな」といった「個人内評価」は、目標に準拠して評価する「評定」に落とし込むことはできないということです。
ただ、私としては、その「個人内評価」こそが、次に説明する「評価の本質」を最も捉えるものだと思っているので、大切にしているところです。
4.評価は「生徒の成長」を補助するための「温かいまなざし」――「ジャッジ」から「レシピとアプリシエーション」へ
そもそも評価は何のためにあるのかということを考えると、それはやはり、「生徒の成長」を補助するためにあるのだと思います。翻って考えると、生徒の成長を補助するものでなければ、それは評価とは言えません。学校で行われている評価は、果たして生徒の成長につながっているのか……。そんなことをふと考えてしまいます。
教育者のミシェル・サドレナ・プレジャー氏は、「オーセンティック・アセスメント」(本質的な評価)というものを提唱しており、次の6点をその構成要素として挙げています(日本語の補足説明部分は對馬の解釈です)。
(1)Personal:「個人」として評価対象者の存在を尊重するもの
(2)Informative:成長するための「情報」を与えるもの
(3)Equitable:多様な知性を承認する「公正さ」を持っているもの
(4)Collaborative Iteration:良質なフィードバックを与え合うことで「協働的に改善」していくもの
(5)Reflective:学びが浸透していくような「省察的」なもの
(6)Exhibition:学んだことを社会に「披露」するもの
これらは頭文字を並び替えて「レシピ(RECIPE)」と呼ばれていますが、私はこれを知った時、それまでの評価の概念が覆るような、まさに生徒の成長を温かく補助するための評価として本質的な概念だと胸を打たれました。
また、実業家の孫泰蔵氏は、『冒険の書 AI時代のアンラーニング』において、「アプリシエーション(appreciation)」という概念を取り上げ、次のように述べています。
これは「ある人や物をきちんと理解する」という意味ですが、そこには相手の良いところを理解してほめるというあたたかいまなざしがあります。(中略)僕は、このアプリシエーションこそが学びを楽しく豊かにするものになるのではないか、そして結果的に学ぶ人にとって最大の励みになるのではないかと思うのです。アプリシエーションには、学ぶ本人がこの世界のおもしろさ、不思議さ、それが奇跡的に存在する「在り難さ」をじっくり味わうというアプリシエーションもありますが、周囲の人が、学ぶ人の探究ぶりのユニークさやすごさ、意義深さを素晴らしいと称賛するアプリシエーションもあります。これら2つのアプリシエーションは、いずれも学ぶ人を大いに励ますことになります。(中略)僕が新しい学びの場をつくるなら、アプリシエーションにあふれた場にしたいと思います。評価という冷たいメスで切り刻み、子どもたちに弱点を意識させて自信を失わせる代わりに、アプリシエーションという尊敬と愛情と感謝を注ぎ、ただみんなの持つ可能性を開花させてあげたい。そんなことを今、考えています。
【出典】『冒険の書 AI時代のアンラーニング』(孫泰蔵、日経BP)
学習者が学習の対象となる物事に対して、その「おもしろさ」「不思議さ」「在り難さ」をじっくりと味わい、周囲の人がその学習者並びに学習内容を「称賛する」といった、「尊敬」「愛情」「感謝」によって学習者を励ます「アプリシエーション」という概念は、今回の「問い」である評価について考える際、私たちに大きなヒントを与えてくれるものだと思います。そして、孫泰蔵氏の「評価という冷たいメスで切り刻み、子どもたちに弱点を意識させて自信を失わせる」という言葉は、私自身そのようなことをしてしまっていないか、いま一度考え直すきっかけとなりました。
そのような「レシピ」や「アプリシエーション」という概念を大切にして、学校現場では生徒一人ひとりを評価する必要があると私は思っています。評価とは、「生徒の成長」を補助するための「温かいまなざし」であるということを忘れずにいたいです。

