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新世代toi-time 第3回テーマ「『課題に立ち向かえ』と言いづらい時代における忍耐力の育て方」
課題への向き合い方を決めるのは誰か――「どうしたい?」から始める支援
2026/02/01 12:00
C先生からの問い
生徒の忍耐力の育成について悩んでいます。トラブルの根本を解決するよりも、逃避することを選ぶ生徒が多い印象です。私としては「課題に立ち向かえ!」と思いつつも、教師からはそういったことを強く言えない現状もあり、生徒への声かけで迷う時が多々あります。先生方はそのことについてどのように感じますか。
コラム執筆者

市立札幌藻岩高校
對馬光揮(つしま・こうき)
1.「思考の肺活量」を鍛える声かけ
切実な問いをありがとうございます。私も日々悩んでいるところです。
「きつかったら逃げていい」というのが私の基本的なスタンスだということを前置きした上で、ここでは課題との向き合い方(課題に立ち向かうのか、立ち向かわないのかといった選択)について考えていきたいと思います。
哲学者の鷲田清一氏は、『哲学の使い方』という書籍で「思考の肺活量」という言葉を提示しています。
思考には、いってみれば大きな肺活量が要る。じぶんにとってあたり前のことに疑いを向け、他者の意見によってみずからのそれを揉みながら、ああでもない、こうでもないと、あくまで論理的に問いを問いつづけるそのプロセスを歩み抜くには、ちょうど無呼吸のまま潜水をしつづけるときのような肺活量が要るのである。あるいは、思考のためといってもいい。さらにそれは、すぐにはわからないことにわからないままつきあう思考の体力といいかえてもいいし、すぐには解消されない葛藤の前でその葛藤に晒されつづける耐性といってもいい。
【出典】鷲田清一『哲学の使い方』
私は、その「思考の肺活量」を鍛えてもらうためにも、課題に直面した生徒に対しては「どうしたい?」「それはなぜ?」と声をかけるところから始めることにしています。
2.本当の「欲望と関心」を理解する
哲学者の苫野一徳氏は「欲望-関心相関性の原理」というものを提唱しています。私たちは、何らかの欲望・関心に沿ってこの世界を見ており、自分の欲望・関心が変われば世界の見え方も変わる、といった考え方です。例えば、目の前に水があったとして、「喉の渇きを潤したい」という欲望を持っていれば「水を飲む」という行動を選択し、「目の前の火を消したい」という欲望を持っていれば「水をかける」という行動を選択しますよね。そのように、同じ水だとしても欲望・関心によって私たちの水の見え方は変わり、それに伴って行動の取り方も変わっていきます。
私はこれを生徒への声かけに活用しています。何かしらの困り感を抱えている生徒には、まずは自分の欲望・関心を自覚してもらい、その欲望・関心とずれた行動を選択しようとしている場合には、行動の再選択を生徒と一緒に検討します。
例えば、「クラスの友達とけんかをしたので、学校にはもう行きたくない」という生徒がいた場合には、「学校にはもう行きたくない」がその生徒の中心にある欲望・関心なのかを確認します。そうすると、実は「クラスの友達と仲直りしたいけれど、気まずいから学校には行きたくない」と思っていることが判明するかもしれません。さらに生徒と話を深めると、その生徒の中心にある欲望・関心は「友達と仲直りしたい」ということだと気づくかもしれません。そうなると「学校に行かない」という行動は、欲望・関心とリンクしない選択だということが分かります。それではトラブルの根本を解決することにならないため、友達と仲直りするためには何をするべきなのか、生徒が行動を再選択できるように声をかける必要があります。
一方で、「学校に行くのがいつもつらくて仕方なく、そんな中で友達とけんかをしたことも相まって、もう学校には行きたくない」という場合もあり得ます。それだけ学校に行くのがつらい状況で、「学校に行きたくない」というのがその生徒の中心にある欲望・関心であるのならば、無理に学校に行く必要はない、と私は思います。「学校に行かない」というその生徒の選択を、C先生の言葉をお借りすれば「逃避」だとマイナスに捉える人もいるかもしれませんが、それがその生徒の中心にある欲望・関心であるのならば、今は学校に行かないことがその生徒なりの「トラブルの根本を解決する」ための選択であり、尊重されるべきことだと思います(実際は保護者の方や関係機関との密な話し合いが求められるものなので、あくまでもここでの考え方の例として受け取ってください)。
3.欲望と関心を基に「行動」を選択する
一度は学校に行かないと選択したとしても、その後に「やっぱり友達と仲直りしたい」と、生徒の中心にある欲望・関心が変われば周囲に対する見え方も変わり、「学校に行こう」といった形で行動が再選択されるかもしれません。
そのように、「課題に立ち向かうのか、立ち向かわないのか」ということは、当事者である生徒の欲望・関心に応じて選択するべきことだと思います。「課題に立ち向かえ!」というのは、「生徒本人の欲望」なのか、教師や保護者といった「大人の欲望」なのか。一度立ち止まって考えてみると、現状の捉え方や声のかけ方も変わってくるかもしれません。
教師の役割は、その生徒が自分の欲望・関心を自覚して言語化することができるようにサポートすることだと私は思っています。従って、まずは「どうしたい?」「それはなぜ?」と声をかけるようにしています。
4.「おせっかい」でいい
もちろん、C先生がおっしゃるように、生徒の当初の発言や行動に対して逆サイドから声をかけることがはばかられる時代だということも事実としてあります。ただ、苫野一徳氏の言葉をお借りすれば、教師は「おせっかい」な仕事です。もっと楽しいことや、納得のいく答えにたどり着く可能性があるのならば、生徒の当初の欲望・関心(と見えるもの)をそのまま受け入れるのではなく、その生徒が本当の欲望・関心に目を向けられるまでは、「おせっかい」かもしれませんが、声をかけていきたい、と私は思っています。

