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働く保護者を「早朝開門」で支援。地域ぐるみで「学力アップ大作戦」
2025/10/10 18:30

全国の教育長に教育施策の立案の視点について尋ねる本コーナー。第10回は、大学学長という異色の経歴を持つ、群馬県高崎市教育委員会教育長の小林 良江(こばやし よしえ)氏に、多くの自治体の注目を集めている、小学校の開門時刻を午前7時に早める施策などについて、話を聞いた。
高崎市 概要
群馬県の南西部に位置し、古くから東日本の交通拠点として栄え、現在も高速道路や新幹線などが交差する内陸交通の要所。北関東工業地域に属し、市内には多数の工業団地が立地している。また、市民の芸術活動が盛んで、「高崎音楽祭」「高崎映画祭」などは、全国的に名高いイベントとして知られる。
人口 約36万人
面積 459.16㎢
市立学校数 小学校58校、中学校25校、特別支援学校1校、高校1校
教員数 約2,000人
児童生徒数 約27,000人
お話を伺った教育長

高崎市 教育委員会 教育長
小林良江(こばやし よしえ)
(プロフィール)
2005年4月、群馬県立女子大学国際コミュニケーション学部准教授、2007年、同学部教授、2016年には同学部長を歴任。その後、2017年10月から2023年5月まで同大学学長を務め、伊勢崎市と群馬県の男女共同参画推進委員会や内閣府の男女共同参画連携会議に携わった。2023年10月より現職。
聞き手

田中 雄(たなか ゆう)
株式会社ベネッセコーポレーション
学校カンパニー 小中学校事業本部
義務教育支援1課(東日本) 課長
1.大学に勤める中で感じた、基礎学力と探究学習の重要性
<田中>小林教育長は大学学長を経て教育長に就任されました。初等中等教育の世界に入られてどのようなことをお感じになりましたか。
<小林>初等中等教育と高等教育は、使われる用語1つ取っても様々な違いがあるため、1つずつ学んでいきました。私は小・中学校教員や教育委員会出身ではないからこそ、徹底して情報を集める必要があると思っています。そのため、教育委員会の指導主事や各学校の先生方に学校現場の状況を積極的に聞くようにしています。
<田中>大学で学生を指導されてきた中で、小・中学校での学習の大切さを感じることはありましたか。
<小林>大いにありました。数的リテラシー、読む力、書く力などの基礎学力が不足していると、大学での学びはうまくいきません。例えば、「書く力」については、感想文は書けるけれども、論理的な文章を書くのは苦手という学生が少なくありません。客観的な視点を持って文章を読み書きできる力は、大学での学びの土台となります。そうした力を有し、大学入学時からレポートを難なく書ける学生の多くは、それまでの学校段階で探究学習を経験していました。探究的な考え方、論理的な書き方を学んできた学生と、そうでない学生とでは、大学入学時から書く力に大きな差がついているということです。社会に出た後も、企画書や報告書などを書く際に論理性は欠かせません。あらゆる学齢で展開されている探究的な学びは、論理的な思考力や文章力を鍛えることにつながっており、非常に有意義だと考えています。
また、本職に就いてから、小学校での道徳教育も非常に重要だと考えるようになりました。きっかけは現場の先生との会話です。小学校低学年で不登校になった子どもが3~4年生で復帰する際は、学力に加えて、道徳的な力の遅れを取り戻すことが課題となることが多いと話されていました。例えば、小学校低学年の道徳の授業では、挨拶やルールを守るなどの規範を身近な題材として使いながら学び、善悪の判断や思いやりの心を育みます。学んだことを日常の中で感じ、考え、振り返ることを授業において大切にし、道徳的な力を生きた学びとして身につけていくということです。それは学校という場の学びの強みであるかもしれません。本市では不登校の子どもの居場所として8か所の教育支援センターを設けていますが、あるセンターに視察に行った時に、児童生徒たちが学年を超えて自然と、楽しそうに集団活動を行っている姿を見ました。センターは学習支援だけではなく、人とのつながりを通じて様々なことを学ぶ場にもなるよう、工夫しています。
2.「小学校は午前7時開門」で、保護者がより働きやすい高崎市に
<田中>2025年7月に発表された、小学校の開門時刻を早める施策には驚きました。開門時刻を早める要望は全国的に見られますが、実現した自治体はあまり聞きません。
<小林>本市では2026年度から、市内の小学校全58校の朝の開門時刻を午前7時に変更します。早朝に出勤しなければならない仕事をしている共働き家庭や、ひとり親家庭の支援が目的です。本市は製造業が盛んで、ものづくりの現場に従事されている方が多くいらっしゃいます。また、介護職などに従事されている方も少なくありません。それらの職種は交代制勤務のことが多く、早番だと出勤時間が早朝のため、朝早く家を出る必要があります。保護者の方々からは、「雨の日も雪の日も、子どもには開門時刻まで校門の前で待ってもらっている。どうにかできないか」といった声が教育委員会や市に多く寄せられていました。
各学校の状況を調査したところ、午前7時30分~50分の時間帯に開門している学校が多く、7時頃から校門の前で開門を待っている子どもがいることや、7時前に出勤した教員が開門時刻よりも前に校門を開けるケースがあることが分かりました。そのような状況を改善しようと、小学校校長会で校長先生方と2025年度から協議を始めました。
協議の結果、校務員の出勤時刻を30分ほど早めてもらうことで、午前7時の開門を可能にしました。校務員の時間外手当は市が負担し、何か問題が生じた場合は学校ではなく、教育委員会が最終的な責任を負うこととし、先生方に負担がかからないようにしました。また、あくまでも対象は「保護者の仕事の都合で早く家を出なければならない子ども」に限定するため、午前7時に登校する子どもは1校あたり数人程度を想定しています。ただし、社会情勢上、対象となる子どもの数は少しずつ増えていくものと予測しています。
<田中>小林教育長が本施策の実現に尽力された背景について教えてください。
<小林>働く女性の苦労や要望を直接見聞きしてきた経験が影響しているかもしれません。私自身は大学教員という、勤務時間をある程度フレキシブルに調整できる職に就いていましたが、それでも仕事仲間から、育児と仕事の両立は大変である話はよく聞いていました。おそらく民間企業はもっと大変だと思います。
子どもが小学校に入学し、保育所のような、遅くまで子どもを見てもらえるところがなくなると、主に女性の保護者は働き方を変えなければいけなくなります。その場合、現在勤めている会社で思い描いていたキャリアを諦めざるを得ない人や、やむを得ず転職する人、仕事自体を辞めなくてはいけない人もいるでしょう。本市では性別に関係なく、誰もが働きやすい環境をつくりたいと考えています。
3.地域全体で、生きる力の土台としての基礎学力を育む
<田中>小林教育長は、「学校や地域社会が子どもたちを守り、育てる教育環境を創っていきたい」といったお話もされていました。地域社会が子どもを育てる貴市のお取り組みについて教えてください。
<小林>有志の方々が子どもの登下校時に見守りをしてくださるなど、本市には以前から、地域全体で子どもを育てようという文化がありました。
その最たる例が、2014年度から放課後や土曜日に実施している「学力アップ大作戦」です。それは保護者や地域の方々が市の有償ボランティアとしてスタッフを務める、児童生徒向けの学習会です。同学習会には学校の教員は一切かかわりません。参加する子どもはドリルを解き、スタッフが採点をして、必要に応じて個別指導を行います。取り組む教科は算数・数学で、特に小学3・4年生で学習する小数点や分数のかけ算・わり算、割合といった、つまずきやすい単元を重点的に取り上げます。2024年度は小・中学校全体で約2,000回、同学習会が実施され、延べ47,000人の児童生徒、延べ16,000人のスタッフが参加しました。
<田中>高卒就職の試験で課された非言語(論理的思考力や数的処理能力)のテストができず、試験に落ちてしまうケースがあると、いくつかの高校で聞いたことがあります。テストの内容を見ると、小学校の高学年で習う割合の理解を問う問題が多く出されていました。確かに割合は、歩留まり率や原価計算など、仕事に直結する、数的リテラシーの大事な概念ですよね。
<小林>その通りです。算数・数学の積み残しの解消は、地域全体の基礎学力の底上げにつながります。また、本市では算数・数学のほか、英語教育にも力を入れています。「教育課程特例校」の指定を受け、2016年度から市内の全小学校で1年生から英語の授業を実施しています。ALT(外国語指導助手)も徐々に増員し、現在は市内の全小・中学校に配置しています。夏季休業中には「イングリッシュフェスタ」(小学5、6年生を対象とする、ALTとの異文化体験)や「イングリッシュサマースクール」(中学生を対象とする、ALTと生徒が1対1で対話する活動)、「イングリッシュバスツアー」(中学生を対象とする、来日間もないALTと市内の名所を巡るツアー)といったイベントを開催し、子どもたちが英語をコミュニケーションツールとして身につけられる取り組みを実施しています。
<田中>なぜ英語教育に力を入れられているのでしょうか。
<小林>県内では中小企業においても、原材料を輸入したり、国外に工場を移転したりするなど、海外諸国とのやり取りが増えています。私が大学学長を務めていた時も、地元企業から「英語ができる人材がほしい」といった声を多く聞きました。英語は海外で働きたい人だけが身につけるスキルではないということなのでしょう。少なくとも小・中学校で学習する英語は社会に出てからも使えるよう、しっかり身につけてほしいと考えています。
ALTは私が教育長に就任してからも10人ほど増員し、大規模校にはALTを2人配置しました。2026年度からの「学力アップ大作戦」は算数・数学に加えて、小学校5・6年生、中学生を対象に英語も扱うことが決まりました。
単にテストの点数を向上させるためではなく、子どもたちが将来、それぞれのよさを社会でいかんなく発揮するための土台として、算数・数学と英語は重要であると考えています。



